文化・芸術

田園寄席

2月18日、矢巾町・田園ホール。

翌日も県民会館の落語があるので、当初は行かない予定だったが、
直前にテレビのCMを見て、やっぱり行こう、と思いチケットを入手。

道路状況はあまり芳しくなかったが
なんとかがんばって矢巾町役場隣のホールに到着。

客席は前方7割の入りだが、後方はスカスカで、2割といったところ。
まあ、しょうがないですかね…

2時開演。
開口一番は「林家いっぽん」。
ネタは「饅頭怖い」の前半。饅頭は出てこなかった。
口調はよいが、滑舌をもう少し鍛えれば…。
笑わせ方がまだこなれていないと感じる。

続いて春風亭一之輔。いま話題のホープ。
3月に真打昇進するとのことで拍手。

6歳の息子に「パパは3月がピークだね」と言われた、
という話でひと笑い起こし、
学校寄席の話をしたあと「牛ほめ」へ。
やはり真打になるだけのことはあり、前座噺でもキチッと笑いを取っていく。

その後は桃月庵白酒。前回の来県時にはスルーしてしまったので
初めて拝見。見れば見るほどおまんじゅうのような顔。

長嶋茂雄の「アメリカに行って『外人が多いですね』と言った」という小噺から、
「佐々木政談」へ。こどもの口調が非常にいい。
細かい部分で少し聞き取りにくい部分があるしゃべりかな。

休憩後、「ぴろき」登場。笑点ではもうおなじみ。
珍妙なかっこうのオジさんが出てきて客席ドッ。

「『おばあさん100歳まで生きられますよ』『あたしゃ102歳だよ』」
「親に『生んでくれなんて言った覚えはない』と言ったら、
『こっちも頼まれてたら断ったよ』」。
客の人数もあってか、ドカンというものはないのだが、
それがこの人の芸風には合っていた。

トリはおなじみ鈴々舎馬風。
昨年の「ラジオ寄席」公開収録以来。

毎度おなじみ林家三平のエピソード。「パンツ破けたよ、またかい」。
当代の小さんの下の世話をした話や、木久扇親子、当代・正蔵三平兄弟の話など。
期待していたが、談志の話は一切しなかった。

「キスしよう」「いやーん、またにして」というエロ小噺のあと、
古典でもやりましょうか、と言うので、おっ、と思ったが、
結局小噺2つ。お姫様が上品な音でオシッコした後、
ばあやがオシッコすると妙な音がする、という噺と、
電気屋が奥さんのオッパイのさきっちょを指でいじりながら
「このラジオは音が出ないなあ」。
すると奥さん「まださし込みしてないじゃない」という噺。

「久々にやるべ」「坊主が寝てからよ」「じゃあ寝かしてこい」。
「どうだ寝たか」「まだ寝てないわよ」「もう寝ただろ」「まだ寝ないわ」。
一服して「いい加減寝ただろ」息子が起き出して「まだ寝ないよ」。

下品な笑いで客席の心をグッとつかんでいく馬風ワールド。

高田浩吉の「土手の柳」を歌ったあと、
まさかと思えばやはり「美空ひばりメドレー」に突入。
今回は3曲くらい、記憶してるのと違う曲が入ってたなぁ。
笑いの止まらぬオバちゃんがあちこちにいた。

で、1曲披露します、といってマイクをにぎると、
曲が流れ出し、下手からいっぽんと一之輔が現れ踊り出す。
馬風、ときおりジョークを飛ばしながら熱唱。「お手上げ節」という曲だそうな。
一之輔本人によると「久々なので踊りは練習した」とのこと。

もう1曲イントロが流れ始めるとハッピにネクタイの男性も登場。
馬風「ここのホールのガードマンです」と言うが、
おそらくマネージャー(馬風の長男)ではないかと思う。
「峠です~」を連発する歌詞から「峠の歌」と判明。

1コーラス終わるたびに踊る3人がはけようとして、
もう1コーラス馬風が歌い始めるのでずっこけるという流れ。
「うちの孫弟子のいっぽんをよろしく」
「次は一之輔の時代です~♪」。

ぬかりなく若手のアピールも行い、
ダンスチームも馬風もはけて緞帳が下りていった。

記憶力が鈍いので馬風の報告に偏ってしまったが(笑)、
やはり馬風のサービス精神のたくましさは凄かった。

一之輔、白酒、ぴろきもよかった。
いっぽんは踊りの小ボケのほうがウケを取っていたがよしとしよう。

2時間、大満足の公演であった。もう少しお客さんが来るとよいのだが…。

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立川談志の正体~愛憎相克的落語家師弟論~

快楽亭ブラック著、彩流社。1680円。

いやー、胸くそ悪い本だ。(笑)

といったって別に買って損したと思うようなものじゃない。
確かに187ページのソフトカバーで1680円は高いけれども、
著者も版元もマイナーだからしょうがない。

タイトル通りの内容の本である。
昨年暮れに逝去した師・立川談志への、
愛憎半ばする思いをしたためた「入魂の一冊」である。

二代目快楽亭ブラックは談志に入門後、
アメリカ人とのハーフという出自で、見た目も外人風のためか、
本人は名人を自認するも噺家の本筋を外れた道を歩まされる(今に至るまで)。

談志の命で改名を繰り返した末に、現在の高座名に落ち着くも、
自身の私生活の落ち度で立川流を追われる(本書内で弁明もあるが)。

さまざまな方面にケンカを売る性格と、過激な芸風も災いし、
東京で居場所を失い、現在は名古屋を仮の本拠としている。

人となりを知りたければ、ブログも読むとよいだろう。
少し読むだけでいい。1週間サイクルで同じような内容を繰り返しているだけだからだ
(高座に上がって競馬、歌舞伎、旅行に明け暮れ、
他人にたかった弁当かお食事券で腹を満たし、夜は酒をたかる。
その合間に同業者への罵詈雑言。その繰り返し)。

CD、DVDも出ているが、かなり聴く人を選ぶ芸風であることは保証する。

そしてこの本の内容もそうだ。
まあ、人の悪口しか出てこない。
「胸くそが悪い」というのはそれのことだ。

悪口の中心は、もちろん師・立川談志へのもの。

その噺家としての芸を認め、芸に惚れた、と明言はしている。
しかしその性格となるとまあ褒められたものではない、と説く。

特に「カネに卑しい」と談志をこれでもかと責め立て、
最終的に「しみったれ野郎」とののしる。

昨年暮れから、死んだ談志については、各メディアから
うんざりするほどの「礼賛」を聞かされたわけだが、
ブラックはそんな「落語界の金正日」に鉄槌を下していく。

ただし、完全に人間性を否定するような記述は巻末までついぞ見られない。
「愛」と「憎」の両面から談志をさばいてみせてからの、
あとがきの最後の一文にはしびれる。
名文家として名高い快楽亭ブラックの面目躍如である。

胸くそ悪くても最後にうならせるあたりは、
さすがとしか申し上げられない。

その代わり、談志が最後に真打ち昇進を認めた「立川キウイ」を、
談志の代わりにいじめている。

キウイは16年の前座経験を「万年前座」という著書にして話題となった
(談志の死後も少しだけ注目された。
「立川談志の正体」と違い、版元は新潮社で、ハードカバーである)。
「あれが談志の弟子か」と2chやWikipediaで叩かれ続ける希有な存在である。

少し前まではブラックとの交流もあったようだが、
現在はブラックが一方的に「あいつは『くさった果実』だ」と、
ブログで攻撃するだけの関係性である。本書でも同様。

なぜそのような関係性になったかというのは、
本書の巻末に記される『ドキュメント落語』と称する「キウイ調べ」で、
ブラック側の言い分が示されている。

キウイはいいわけせず、ブログで本書を激賛するほどである。
皮肉の可能性もあるが(だとしたらキウイも相当なものである)。

ほかにも談志一門の噺家の名前はちょこちょこ出てくる。
生志などに対しては素直に「上手い」と認めている。

しかしブラックにとっては所詮「ワンオブゼム」に過ぎない。
志の輔も志らくも談春も、だ。

とにかく「立川談志」が、快楽亭ブラックという噺家を
良くも悪くも形づくった、という縦スジは一貫し、
「畏怖」「尊敬」が本書を貫き通している。

談志に「年長者に敬意を示さないのはどうだろうか」と諭す文があるが、
ブラックもこの本でだいぶ先輩に悪口を書いている。
そんなところまで師匠に似るくらい、師匠への愛が満ちあふれている。

死んでから、褒められすぎじゃないのか。
少し、悪口も言ってやらないと本人が気味悪がるだろう。
そんな、弟子の優しさの裏っ返しの本なのだ。

そしてちょっぴり、キウイへのSっ気。
これも愛情の裏っ返しのような気がする。
本書にあるとおり、ブラックは「SMプレイ」に精通している。

そんなブラックなりの、「SとMの極意」を、
キウイへのムチに見た思いである。
そのムチは当然、天の談志にも向けられている。
イヨッ、SMの達人。


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落語は都会のもの

愛知県のイベントプランナーみたいなオバサンのツイートが、
リツイートの波で流れてきた。

田舎のジジババが変なタイミングで笑ったのに腹を立てたという
立川談志のドキュメンタリー映像を引き合いに出し、
「落語は都会で聴くものだ」「"田舎者"の客はヤボってものだ」。

少し腹が立ち、「田舎者で悪かったね」みたいなツイートを吐いたら、
リプライしたわけではなかったが、めざとく見つけてこられて謝られた。

「田舎在住と"田舎者"は違う意味で書いたつもりだったけど…」
そんなこと言われても、ねぇ。

まあ、でもこのオバサンの言うことにも一理あるとは思う
(いちおう、そういうニュアンスを込めたツイートをしたんだけどね)。

結局、落語というモノは都会で生まれた(あるいは洗練された)文化なので、
田舎者が口を出すのは「野暮」なのだろう。

ラジオやテレビといったメディアによって、
地方在住者でも落語を享受できるようにはなったが、
落語の本拠地たる「寄席」に常日頃触れられるのは、
せいぜい東京近郊、上方なら大阪近郊に住んでいる人に限られる。

寄席日記」や「HOME★9」を、
生の寄席やホール落語情報を得るために購読しているが、
読んでて腹立たしくなってくることもある。

贅沢すぎるんだもの。
「昨日の高座のほうがよかった」なんて毎日のように書かれたら。

その最たるものが「ミスター落語評論家」広瀬和生か。
あるいは「ずんずん落語評論家」堀井憲一郎とか。

しょせん、田舎にいればそんな幸福に浴すことはできない。

立川談志は「江戸の風を伝えることが落語には大切だ」と説いている。
江戸=いにしえの東京。
田舎はダメなのだ。ヤボなのだ。

落語でも、田舎者は嘲笑の対象である。
「五人廻し」「お見立て」「手水回し」「勘定板」…。
「金明竹」もある意味そうかな。

落語に出てくる田舎者は、「江戸の粋」が分かっちゃいない
「愚鈍な人物」として、東北弁と九州弁をゴッチャにしたような
「田舎弁」を使って描かれる。「五人廻し」のお大尽なんか典型的だ。

…もう、田舎者は割り切ってしまうしかない。
いくらがんばっても、我々田舎者は江戸っ子にはなれないのだ。

田舎者なりに、落語を楽しむ。これでいいのではないか。
寄席はなくとも、市民ホールや公民館に噺家が来てくれるじゃないか。
「五人廻し」のお大尽も、仲間だと思ってしまおう。

東京の半分以上は田舎者でできている。
落語家も地方出身者が大半だ。そう思えば、気楽なもんだ。
広瀬和生みたいにやたら寄席通いするのは「落語中毒患者」と思って笑ってしまおう。

落語を「つまみ食い」できる贅沢を味わおうではないか…
ウーン、無理があるか(笑)

とにかく「落語は都会のもの」であることを無理に覆そうとせず、
適度にヒガミながら、自然体で付き合いましょう、ってことで…。

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キャンパス寄席に落語は要るのか

NHKラジオ「真打ち競演」は今春から月末の放送が、
キャンパス寄席」に置き換わっている。

普段落語の公演もやらないような、片田舎の市民ホールを巡回し、
客はほとんど高齢者の「真打ち競演」と違い、
「キャンパス寄席」は首都圏の大学が収録場所である。

出演する芸人も、「レッドカーペット」や「オンバト」系の
イキのいい若手~中堅が多く、
そしてトリとして、MCも務めるサンドウィッチマンが爆笑をかっさらっていく。

サンドの前に落語家が一席演じるところが、
「NHKの良心」を感じさせるところか。
まあ、番組タイトルも「寄席」ですからね。

…しかしこれがどうもクセモノなのだ。
落語の部分で、明らかに番組のテンションが下がるのである。

たとえば、9月の放送で登場したのはモノマネの「ホリ」、
漫才の「マシンガンズ」、サンドウィッチマン、
そして落語は「三遊亭歌武蔵」であった。

ホリはネタのチョイスを少し見誤って笑いも薄かったが、
マシンガンズは得意のひがみネタでウケた。

その後恒例の企画コーナーで一息ついた後に、
落語の一席である。

歌武蔵は、落語を少しでもかじっている人ならご存じのように、
元力士で現在もでかい体をゆさぶり、一見「飛道具」風ながら、
本寸法の古典をじっくり聴かせる本格派である
(実際は新作も手がけているが)。

この日は風貌に合わせてハードルも下げ、
弱い相撲取りの噺「大安売り」をネタに持ってきた。

それでもそれでも。
学生には、落語はやっぱりキツいんだろうなぁ、と思ってしまった。

なにしろ人気芸人にサンドウィッチされての登場では
アウェー感がハンパない。

この日の歌武蔵はきっちり笑いどころを押さえてはいるのだが、
やっぱり爆発力のある漫才芸よりは、
若い客のリアクションも「薄い」のである。

なにしろ「町内の若い衆さんじゃありませんか」だものなぁ。
こんな言い回し、いまの若者には通じないもんね。
これだけでも、落語の「敷居の高さ」を感じさせてしまう。

落語の前のMCで、サンドウィッチマンと、補佐役の女子学生がトークをするのだが、
「落語を聴いたことはあるの」と聴かれた学生は
「高校生の時に、芸術鑑賞で…」と答えていた。

なんだよ、『芸術鑑賞』って。
要するに「見させられてる」奴じゃねぇか、って話である。

先ほども言ったように、この番組での落語はアウェー感がハンパない。
それこそ無理やり見させられる『芸術鑑賞』なのだ。

またサンドウィッチマンが余計なことを毎回言うんだ。
「これからは『スペシャルタイム』でございます。
生の落語を聴いていただきます」…

「落語は大事な芸能だよ、だから学生の皆さんにも聴いてもらいますよ」
という雰囲気づくりの度が過ぎる。
ますますアウェー感、芸術鑑賞感が増幅してしまう。

落語なんてそんなしゃちこばった芸能じゃないのになぁ。
もったいないなぁ、と思うのだ。

確かに、イキのいい若手の漫才と比べたら、
笑いは少なく、お上品かも知れない。

でも、アナーキーな落語も一杯ある。
新作落語で爆発力のあるネタを見せる噺家もいる。
そこから古典の素晴らしさに入り込んでもいける。

…ウーン、いかん。
こうやって「落語はステキな演芸だ」と若者に力説すればするほど、
かえって「芸術鑑賞」の域に落語を遠ざけてしまうような気もする。

そもそも、「キャンパス寄席」に落語は要らないのでは、とまで思うのだ。

あんなアウェー感、外様感の中で、
笑いにくい雰囲気で落語をやられたんじゃ、
かえって落語のイメージがますます古臭くなってしまう。

ただでさえ熊さん八っつぁんご隠居さん、
長屋に火鉢に一分二分。現代からは乖離も甚だしい世界観。

これに慣れれば落語はたまらなく愛おしく面白い演芸なのだが、
無理に聞かせようとするから落語が敷居高く、つまらなくなるのだ。

学校の芸術鑑賞はとっかかりとしては大事だけど、
「キャンパス寄席」の落語はあまりにねじ込み感が強い。

聴きたい奴が自由に聴けばいい。
落語なんてそんなものじゃないんですか?
大学生にもなれば、自分の見たいもの、興味を抱くものは自分で峻別つくはず。

NHKにはもっと違うやり方で、落語という芸術…いや、演芸を広めて欲しいと、
切に願うのである。

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キウイ・立川・スーパースター

万年前座 ~僕と師匠・談志の16年~立川キウイ・著。

今のところ、2011年で唯一真打ちになる予定の噺家である。
暗い話題ばかりが世間に漂う中、
ひとり、うれしいプレッシャーを受け止めているラッキーボーイ。

ボーイと言っても、来年には45歳になる「おじさん」。しかも独身。
以前も弊ブログで紹介していたが
著書は積ん読になっていた。
それを、先日一気に完読した。

キウイによって紹介される談志は、とにかく「理不尽」。
なんてひどい人間だ、と皆思うだろう。

それなのに、ああそれなのに、青年・塚田洋一郎は、
談志の言うことすべてを受け入れてあげるのである。

一度惚れた師匠を、裏切りたくない…。
ピュアな青年は、このバンダナグラサンジジイを信じ続け、
男の人生の最も大事な時期を、棒に振る。

キウイが「不遇の時期」を過ごした同じ年頃に、
談志は「笑点」を立ち上げ、「現代落語論」を書き下ろし、
2度目の選挙で国会議員になり、
そして落語協会分裂騒動のフィクサーにまでなっているのだ。

かたや、落語界の頂点。
かたや、落語界の下っ端。

3度も破門扱いをされ、5人の後輩に昇進を抜かれるも、
一緒に暮らす両親の言葉でようやく焦燥感を覚える始末。

16年間を「前座」あるいは「破門状態」として過ごし、
40歳になってようやく「二ツ目」となる。
これだって遅いくらいだ。
しかも、昇進は談志の「気まぐれ」。理不尽、理不尽、超理不尽。

キウイは談志への恨み辛みなど一つも言わない。
愛する家元の言うことなら何でも聞く。
反旗を翻したのは、二ツ目昇進後の
「お前、いつでもオレのために前座に戻っていいんだぞ」
という言葉だけ。さすがにこれだけは「勘弁して下さい」と言うよりない。

天才・談志が(原則として気まぐれとは言え)16年も昇進を認めなかったのだ。
噺家としての才能はちょっと怪しいところがある。

それでも、作家としての「文才」を、この著書では遺憾なく発揮している。
後半にはほろりとするエピソードもしたためてみせる。

律儀に、原稿はちゃんと手書きしたのだという。
「辞める」と書きゃいいのに「廃業める」なんてウルさい書き方をするあたりも、
「職業落語家」へのこだわりが感じられるではないか。

ネットでの誹謗中傷についても軽く触れている。
Wikipediaを見れば、彼への誹謗目的と思われる記述が満載である。

そんな卑怯な連中に、キウイは「匿名アンチさん」と優しい言い回しで、
毎日のようにブログで(酔いに任せて)ケンカを売る。

先に昇進した後輩に軽い皮肉を言って見せたりもするところも著書にある。
案外、男っぽいところもあるのだ。

顔の見えないヤツにケンカは売っても、
世話になった人の悪口は言わない。

何があったか知らないが、
自分を「くさった果物」呼ばわりする、
元先輩のメタボ道楽助平アイノコ噺家・快楽亭ブラックのことを、
キウイはこの著書でもブログでも絶対に非難したりしない。

理不尽に首切りを言い渡した談志の元を去り、
名古屋で噺家を続ける後輩(雷門獅篭)にも慈愛の言葉をかける。

隣人を愛し、右の頬を叩かれても左の頬を出す。
キウイ=タテカワ・アズ・ジーザス・クライスト=スーパースター。

談志が落語の神様ならば、キウイは落語の神の子。
「現代落語論」が旧約聖書なら、
「万年前座」は新約聖書なのかもしれない。

神は理不尽なこともすることを、
我々は3月11日以降、嫌と言うほど思い知らされた。
その理不尽に耐えて耐えて耐え抜いた者だけが、
最後に生き残るのだ。

「本を書いたのか。褒めてつかわす、おまえ真打」。
神の気まぐれで、スーパースター・立川キウイは真打になる。

愚直で愚鈍で愚図な噺家が、
真打として降臨する2011年。
審判の時は、もうすぐだ。

(追記 4/26)
ご本人にモバイル版を読まれたことを確認。

いつか読まれると思っていたが…

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落語は太る

NHKBS「お好み寄席」。
落語や漫才・漫談をさまざまなスタイルで伝える正統派演芸番組。
アタシもこういうの見るようになったよ(笑)

といいながら、ついつい録りだめてしまう。HDDだものねぇ。

そんな中、数週前の「五街道雲助」の「長講一席」を堪能。
演題は「二番煎じ」。

火の用心のために寝ずの番をする主人たちだが、
寒さが理由か呑みたいからか、酒を持ち寄り、
猪鍋まで作る。ところがそれを役人に見られてしまい、
酒は役人の腹の中へ…という噺。

この中の、猪鍋をつつくシーンが絶品であった。
猪肉をハフハフしながらほおばり、
ネギを噛めば中から汁が飛び出てのどちんこを直撃。
「アタシは肉が苦手でねぇ」と言いながらネギだけを喰ったかと思えば
ネギとネギの間に猪肉をはさんでたり…

いちいちシズル感がたまらない。
おもわず、家にあった豚肉と長ネギで再現してしまったではないか。
で、それを口に入れて落語の世界を堪能してしまったよ。
夜の11時に。

片手には日本酒。太っちゃうよねぇ。

具体的な話は忘れたけど、
昔の名人が甘納豆を食べるしぐさがあまりに上手くて、
高座の後、売店の甘納豆が売り切れた、なんて逸話もあったそうな。

落語は太るねぇ。

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テレビと芝居の手書き文字

asahi.com(朝日新聞)の「注目コンテンツ」のところで見つけた記事を読んで
速攻で注文した本が、今手もとにある。

Tegaki

「テレビと芝居の手書き文字」竹内志朗・著。イグザミナ刊。
テレビも文字も好きな自分にはこれ以上ない本である。

テレビタイトル文字職人といえば、
名古屋テレビ(現メーテレ)に在籍し、『ナール』『ゴナ』を生んだ中村征宏
「8時だョ!全員集合」「日本レコード大賞」の篠原栄太を思い出すが、
大阪にも「巨人」がいた。それが竹内志朗である。

なにしろ、朝日放送が「大阪テレビ」と名乗っていた時代から、
せっせとテロップを書いていたのだから筋金入りの人物の書いた本なのだ。

自費出版。そもそも売れる種類の本でもないし、
チョサクケンの問題もあってか、市販するわけにもいかないようである。

購入方法は、「竹内志朗アトリエ」に、直接FAXで注文するしかない。
我が家にはFAXがないので、しかたなくセブンイレブンからFAXを送った。
その2日後に、宅急便で丁寧に送られてきた。
(ちなみに、代金支払い方法を書いた紙に、
自分の名前が様付けでペン書きしてあったが、おそらくご本人の字であろう)
思ったよりも大きくて厚く、紙質の良い本である。

タイトルには「文字」とあるが、竹内は「舞台装置デザイナー」でもあり、
後半は舞台装置のほうにもページを割いている。

しかし、舞台装置もタイトル文字も作れる人はひと味違う。
ポスターも作ってしまうのだ。
つまり、舞台のアートディレクションを、一人ですべて請け負ってしまうのである。

すべてに、若い頃に劇団に在籍したころの経験が生きている。
裏方を志向したが、最初は演じる側も務めていたという。

その後、デザイン会社に入り、無給で(!)働いた。
努力の甲斐あり、開局したての「大阪テレビ」、現在のABC朝日放送に出入りの職人となる。

当時のテロップはみな手書き。
ニュース番組では大量のテロップを短時間で用意せねばならず、
テロップ職人、「タイトルさん」は大忙しだったという。

それ以外にも「テレビ映画」、つまりドラマや、
バラエティ番組などでも、タイトル文字制作のほかに、
テロップやフリップ描きも行っていた。

毎日「手から筆を落とすほど」文字を書き続けているのに、
たまの休みにスキーに出かけた日、宿に戻ったその夜も練習をしたそうだ。

その後、ニュース番組で写植の導入が始まり、駆り出されることがなくなると、
ドラマのキャスト・スタッフのテロップ制作や、
タイトルデザインが主な仕事になっていく。
といっても、タイトルバックの立案・構成から小道具づくりまで手がけたそうだ。

タイトルデザインの代表作として
新婚さんいらっしゃい!」「探偵!ナイトスクープ」が挙げられる。
ほかにも「プロポーズ大作戦」「霊感ヤマ感第六感」「剣客商売」などを手がけている。

ほかにも大量の作品が掲載されているが、
残念ながら関西ローカルで古いものが多く、ほとんどはピンと来なかった。
「駕籠や捕物帳」「新・遠い国近い国 世界のどこかで」
「夫婦善哉」「わんぱく砦」「日曜お楽しみ劇場」…。

しかし「やりくりアパート」「お荷物小荷物」「部長刑事」など、
タイトルだけは知っている作品もちらほら。

当時のエピソードとともに思い入れを持って記述している「必殺シリーズ」は、
書家の糸見溪南が書いた番組タイトル文字原案のレタッチを行うほか、
サブタイトル(「○○して候」「主水、○○をする」の類)はほぼすべてを書いたという。

竹内の仕事は、日本のテレビの歩みとともにあった。

しかし、本にも少なからず書いてあるが、
現在、テレビの世界はコンピュータテロップが主流となっている。

アホほどテロップを使うようになったが、
それはディレクターが、VTR編集と並行し、
シコシコとキーボードで入力して表示しているものである。

先述通り、現在竹内は、テレビタイトルデザインのほか、
本来のホームグラウンドであった「舞台装置」のデザイナーとして活躍中。
今も休みはないというが、若い頃の激務経験と比べればなんてことはないようである。
御年77歳、意気軒昂。

自費出版ということもあり、文体は聞き書き調でとりとめがない。
内容も系統立てて書かれておらず、
話があっちゃこっちゃ飛んでいる印象もあるが、
それが逆にリアルな「タイトルさんの生の声」の雰囲気を伝えている。

「業界人」ならではの記述もある。
「ABCフラッシュニュース」の、
円盤がクルクル回るオープニングの制作秘話は、
とくに関西の“テレビマニア”にはたまらないだろう。

いっぽうで、「これからは太い書体が流行りまっせ、開発しまへんか」と
モリサワ」に提案したが「そんなんあきまへん」と蹴られたのに、
いつの間にか「写研」が太い書体をリリースしててそれがバカ売れした、という
当時の写研とモリサワの立場を如実に表したような、
“フォントマニア”にもたまらない逸話も載っている。

竹内が書いたテロップは、知人の計算によると230万枚程度になるのでは、という。
しかしそのほとんどは廃棄され、手もとにあるものはごくわずかだそうだ。
この本では、「綺羅星」のごとく、さまざまな番組のタイトル文字が掲載されている。
その多くは、「再現」して書いたものだそうだ。

テロップが残っていないことについては「それでいい」のだという。
画面に表示されては消えていく、「流れ星」のようなテロップたち。

いまは味気ない「フォント」になってしまったが、
手書きの時代があったことも伝えたい、という。

テレビの世界に、手書きのテロップが戻ることはあり得ないが、
「職人気質」だけは、どこかに残していって欲しいものである。

※なお、舞台装置について記述している、
 後半の“芝居編”はこれから読むところである。

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うーん、ねたまれてみたい

「うーん、寝てみたい」といえば三船敏郎の名ゼリフだが…。

齋藤智裕こと水嶋ヒロの文学賞受賞である。
2000万円の賞金を「イリマセーン」と突き返し、かっこよいところを国民に見せつけた。

あんだけ目鼻立ちの整った顔で、演技力も折り紙付きなのに、
カワイイ歌手の女の子をサッサとめとってスコーンと引退し、処女作で文学賞。

「出来レース」。
誰でも思いつく言葉である。
しかし、万が一、出版不況に悩んだ出版社側が仕組んだ出来レースにせよ、
世間に納得させるだけのモノは書いているはずなのだ。

顔がきれいで芝居もできて、女にもてて、若くして文才もある。
そして、目の前にぶら下がる2000万円を突き返す余裕も持ち合わせている…。

ああ、これで日本男性の過半数を敵に回したな。(笑)

男は家の外に出ると七人の敵がいる、とはいうが
水嶋は数千万オーダーの敵がいるわけだ。
ますますかっこよいではないか。

しかもファンという名の味方もまた多くいるわけで。
これをねたまずして、何をねためと言う。

こういう男に生まれたかった…。
今夜は、目の前に2000万円積まれた夢を見ることにしようか。
(夢でも俺は、そのカネをフトコロに入れる自信がある)

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夏の落語会~残暑お笑い申し上げます

本日、花巻市文化会館にて。

1100人のキャパ、入りは7~8割ほど。後ろには空席多し。
まあ、落語だからね…動きがないから遠くから見るのは辛いものがあるし。

一昨年、「笑いの忘年会」に行って以来である。
忘年会は今年も開催するようだ。

開演ブザーが鳴ってからもしばし待たされて開演。

前座は柳亭市也。その名の通り市馬のお弟子。
「牛ほめ」でご機嫌を伺い、そこそこの笑いを取り客を温める。グッジョブ。

続いては柳家花緑。いきなりのビッグネーム、めくりで名前が出ると拍手が。
いつもの笑顔で登場の花緑、「おじいちゃん」ネタのマクラで客の心をがっちりつかむ。

晩年、先代小さんが携帯電話を持たされたときのエピソード、
鈴々舎馬風から電話がかかってきて「どうして俺の居場所が分かるんだ」。
たたずまいも言動も、落語の登場人物そのもののような人だった、と。

そんな長めのマクラで笑いをかっさらいつつ、噺は「蜘蛛駕籠」。
やはり知名度のある噺家は客のリアクションも違う。

そして、柳家さん喬。ご存じ、喬太郎の師匠である。
爆笑派の喬太郎と比べると本格派のフンイキで、地味なイメージがあったが、
いやいやなかなかどうして。
マクラではワインのテイスティングの滑稽な模写で大爆笑を巻き起こした。

根多は「幾代餅」。「紺屋高尾」のバリエーション。
独特の間で客をぐいっと引き込ませた。
この師匠にしてあの弟子あり。

仲入り。トイレから戻ると、
市也と、女性の前座が出てきて、サイン色紙の抽選会を進行。
「忘年会」のチケットを併せて買った人に権利があったようだ。
女性の前座は花緑の弟子、柳家まめ緑。後半の高座返しを務めた。

後半はまず色物、三遊亭小円歌。おなじみ三味線漫談。
のどの調子がよくなかったようで頻繁に咳をするが、
演じる最中は一切それに触れないプロ根性で。

「圓歌に触られた」「楽屋はみんなおじいちゃん」など、
おなじみのつかみの後、出囃子メドレー、両国風景。
ラストは美麗なるかっぽれで魅了。投げキッスで退場、可憐なお姉様であった。

主任は大御所、三遊亭圓丈
狛犬の紋の入った裃で堂々の登場。

公式ブログにもあるとおり、昨日には都内でネタ卸しを敢行したとのこと。
ムービー落語「タイタニック」。
しかし年で覚えられずカンペ5枚を広げた…ってほんとかね?

最近の犯罪史「86歳が59歳を刺す」、
86歳といえば林家彦六、
もしこの犯人が彦六師匠だったら…ということで
「おンまえを~刺すよ~ん」。

このマクラどこかで聞いたような…。
でももちろん客席は大ウケである。

途中名古屋弁の話をするので「名古屋版金明竹」かと思ったが
やはり新作で「遙かなるたぬきうどん」。
題名だけは知っていたが、圓丈らしい荒唐無稽なストーリーであった。
ガシッ、ガシッとマッターホルンを登攀し、
頂上で待つ常連客にたぬきうどんを振る舞う足立区のうどん屋。
結局その常連客と共に、雪崩に巻き込まれ、
自分も不帰の“客”となるが…というメチャクチャな噺。

後半にヴォルテージを上げ、
マイクに大声を叩き付けるアグレッシブな高座はうるさいほど。

ピッケルを突き立てる仕草は扇子2本を使用。
扇子2本の使用は通常あり得ないが「新作40年もやっていると許されるのです」。

「でも本当は…」懐にもう2本扇子を隠し持ち、計4本の扇子を取り出して
「これで占いもできるんです」といって扇子の1本を広げ、
「瀧川鯉昇…ハズレ」。不覚にも笑ってしまった。

奇想天外なオチで最後まで客を自分の世界に引きずり込んだまま、
太鼓の音色と共に緞帳が下りる。
最後まで頭を下げ続ける圓丈の姿を目に焼き付けつつ、会場を後にした。
これで2000円なんだから、つくづく、素晴らしい会である。

※もっと詳細にレポートされている方がいますのでそちらを参考に…
なんとなくはじめました(つれづれなるままに)

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めんこい美術館

Mbo01
奥州市水沢区佐倉河にある「めんこい美術館」を訪問。

以前も触れたように、ここは開局当時、
岩手めんこいテレビの本社だった建物である。

当ブログで、一回訪問したことがあるようなコメントを書いたことがあるが、
あれはネット上で画像を見て確認したからであって、
実は初訪問である(ゴメンナサイ)。

まあ、この建物にはいろいろな背景があったようで、Wikipediaによると
「小沢一郎」やら「産経新聞」やらいろんな名前が出てくる。

過去の来歴からとって「めんこい美術館」と銘打たれてはいるが、
この建物の経緯はめんこいテレビにとってはアンタッチャブルなのかもしれない。

Mbo02
建物前にドンと立つ鉄塔が、テレビ局の面影を残すが、
それ以外にめんこいテレビ本社だったことを示すものは見あたらない。
それでも開局当時は確かにここが岩手めんこいテレビの本社社屋であった。

現在は水沢駅付近に同社の「業務センター」が移っているが、
それ以前は「水沢本社、盛岡業務センター」体制であった。

つまり水沢市(現在の奥州市)のオフィスが主、
県庁所在地の盛岡市のオフィスが従の関係だったのだ。

しかし岩手県の情報が集まるのは当然盛岡であり、
開局以来、番組作りから局の運営まで一貫して盛岡で行われていた(はず)。

結局、水沢に本社を置く必然性はないと判断し、
盛岡の業務センターに本社機能が移ったのだが、
開局時に盛岡業務センターに作った「報道用の小規模なスタジオ」が、
現在めんこいテレビ唯一のスタジオだったりする。

いっぽうで、水沢本社には「岩手県で一番広い」と
銘打たれたテレビスタジオがあったのだ。
そのスタジオはいま、どうなったのか。

なお建物自体はフジテレビが保有していたようだが、
当時の水沢市に「無償譲渡」されたのだという
(この辺も、きな臭い感じはあるね…)。

Mbo03
放送局として作られた建物であることを生かしてか、
「めんこい美術館」だけでなく「奥州FM」が国道の反対側に入居しており、
いまも放送局機能を有している建物である。

さすがにFM局に近づく勇気はなかったが、
駐車場には奥州FMの社用車がいくつか留まっており、
FMのオフィス内では社員が働いている様子も見えた。

では美術館へ。(注:以下、写真はありません)
ドアを開けると、小さな待合室と、受付。
改装しているとはいえ、放送局だったとは思えないほどこぢんまりしている。

実際には、ロビーだったと思われる空間は壁で仕切られた喫茶室になっていて、
食事などもできる市民の憩いの場になっていた。

受付のおばちゃんに料金を問えば「無料です」と。
ほほう、うれしいことである。

では展示室へ。入り口からすぐ入れる場所にある。

絵を飾っておくにしては妙に天井の広い部屋がそこにあった。
これが「岩手めんこいテレビのスタジオ」だった空間である。

ただ、「岩手で一番広い」と謳っていたにしては、
それほど広くもない感じはする。おそらくバレーボールコートほどもないのでは?
天井が高いので大きくは見えるが。

壁面はいわゆるホリゾントになっており(ただし一部は屋外につながる窓)、
曲面はアールになっている。

天井には当然テレビ用の照明はすでに撤去されており、
スポットライトなどをのぞけば、蛍光灯がぶら下がっているのみ。

この日は市民が描いた植物の絵が飾られていたが、あまり興味はなく…。

かといって、天井や壁ばかり見ていると
部屋の中にいた関係者と思われるおじさんに怪しまれそうだったので、
他の客(市内在住と思われるおばさま方)にまぎれて絵をまじまじと見るふりをしておいた。

こっそり部屋の全体をながめれば、
入り口側の2階部分には「サブ(副調整室)」だったと思われる部屋につながる大きな窓が見える。
ただ、壁でふさがれていて中を見ることは出来ない。

なおこの元スタジオにつながる格好で、「前室」的な部屋があり、
奥州市出身の画家の風景画が飾られていた。
(プロフィールを見ると、洋行経験もある華麗な経歴の人物のようだ)

こちらは天井も低く、壁は防音材がむきだしの無骨な空間であったが、
この部屋は絵を飾っても違和感は感じられない。

関係者のおじさんに話しかけられないよう、そっと退室。
(来た理由を聞かれて「絵ではなく部屋を見に来た」とは答えられないではないか)
テレビスタジオだった意匠が、いまも色濃く残る印象深い空間であった。

続いて、受付脇にある常設展示室へ。おそらくオフィスだった部屋であろう。
ここにも絵が飾られているのだが、
なんだかうるさそうなオバサンたちが手前のテーブルにたむろしている。関係者だろう。

絵を見たら「こんにちわ~、どこからいらしたんですか?」などと訊かれそうで、
もっと面倒そうだったので、2階部分へつながる階段に直行。

やや古ぼけた階段を上れば、なぜか美術館なのにチョウチョの展示室。
これが、1階の元スタジオにつながる副調整室だった部屋と思われるが、
それにしては広い。まあ、いろいろな機能のある部屋だったのだろう。
当然、さきほどの「大きな窓」と思われる部分はベニヤ板?でふさがれている。

(訂正)Wikipediaによると、水沢本社には副調整室(サブ)すらなかったそうで、
サブ代わりに、盛岡から中継車をもってこないとスタジオは使えなかったそうだ。
だからこの部屋は、スタジオをモニタリングするほかは、
簡易なミキシングくらいしかできない部屋だったと想像する。

ここには関係者はおらず、そもそも入室する前には節電のために電気が消えていた。
床はフリーアクセスなのか、踏みしめるとボコボコした音がする。

チョウチョやヘラクレスオオカブトの標本が並んでいるが、
やはり興味はあまりないので、副調整室?跡だったであろうことを確認し、
階段を降りる。1階の展示室に出るが、
さっきのオバ様方につかまらぬよう、さっと部屋を出た。(もったいねー)

で、もう見る部屋もないので(ほんとは喫茶室にも入ってみたかったが)
めんこい美術館初訪問はこれにて終了。

半分は奥州エフエムが使っているというのもあるが、
テレビ局だったにしてはこぢんまりした印象は否めない建物である。

いずれ、ほんとうに岩手めんこいテレビに
水沢本社が必要だったのか疑問であるが、
いまこうやって市民のために有効活用されているわけだから、
この建物も無駄ではなかった、ということだろう。

あの元スタジオは、絵を貼っておくには天井が高すぎるけれど…。

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