芸能・アイドル

ハンサム紳士は嘘つき紳士?

一夜でスターに成り上がった「経営コンサルタント」K氏。
ハーフ、MBA取得、コンサルタント業務…その全てが「ウソ」の可能性が強まっている。

ハーフ風の名前だが、純粋な熊本出身という。
ならばあの顔立ちは…というと、「美容整形」らしい。

MBA取得もしておらず、オープンセミナーを受けただけ。
そもそも「テンプル大学卒」も虚偽で、日本校を中退しただけ。

さらに、経営コンサルタント自体もしていなかった可能性が高まっている。
15年ほど前には「声優」をしていて、その頃の写真もネットに出回っている。
今の写真と比較すると、確かに同じ人物だろうと思われるが、
いまは鼻筋が眉間からすらっと伸びている。

いっぽう15年前のK氏の鼻は顔の真ん中にあるだけ。
名前も当然、日本人の名前を名乗っていた。

これらの情報が真実とするならば、
K氏は「大嘘つき」だった、ということになるわけだ。

そんな人物を、テレビ・ラジオ各局は
「ハンサムな経営コンサルタント」として起用し続けていた。
素性を調べることもなく、である。

まあダマされるほうが悪いわけだが、
よくもまあ、ダマし通したな、とも思う。

いつまでもウソを貫き通せると思っていたのだろうか。
おなじみ「センテンススプリング」が暴き出したわけだが、
そうでなくても、いつかは必ずバレるはずなのだ。

そうとうな「肝」がないと、こんなことはできない。
中身は薄っぺらとしても、
とりあえず報道番組でも通用するコメント力は持っていたわけだし。
そして、整形らしいとはいえ、あの美しい顔面と、
(声優活動で鍛えたのだろうが)美しい声。

報道が明るみに出てスパッと身を引く潔さだけは見上げたものだが、
事務所の社長には「4月からどうすればいいのでしょう」と
泣き言も言っているという。

前回も同じことはもう仕上げだが、
すわった肝、コメント力、顔面、美声…
経営コンサルタントじゃないとしても、
このスキルを別な場所で生かしてほしいものだ。
ただ、もう虚偽や偽装はおやめなさいね。

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帝国、終わりの始まり

年末から騒動が続く芸能界にとどめを刺した、
SMAP解散騒動。

昨夜の「SMAP×SMAP」生放送で、一旦の決着を見た。
解散はなくなったようである。

しかしメンバー5人からは最後まで「解散しません」という言葉はなく、
憶測をかえって広げる結果となっている。
おそらく、それを明言できない何かが残ったのだろう。

やれ、キムタクが真ん中だの、ネクタイが白いだの、
それをもって「SMAPは(メリー派の)キムタクのものになった」
とする意見が多い。

冷静に考えれば、そりゃうがち過ぎだろ、とも思うが、
そんなものなのかもな、という気もする。真相は分からない。

それにしても不思議なのは、
これまでジャニーズ事務所については好意的な報道しかしてこなかった
スポーツ紙やワイドショーが、
今回ばかりはやや否定的な報道もするようになっていることだ。

今回の騒動の一端は、
ジャニーズ事務所の内紛が引き金なのだが、
マスコミがそれに触れている。
今までなら「タブー」だったはずだ。

草なぎ剛は「ジャニーさんに謝る機会を…」と言った。

そもそも、ほとんどの国民は
『ジャニー喜多川』なる人物の顔を見たことがない。

(実際にはマスコミが記事にして写真も掲載されているが)
実在するかどうかも分からない「神様」に「謝らなければならない」、
今回はそれほどまでの事態だったのだ、ということなのだろう。

いずれ、いままでのジャニーズ事務所なら、
こういう釈明の場すらも設けず、
今まで通り「いつもニコニコみんなのSMAP」で突き通したはずだ。

それを、極秘中の極秘であるはずの
「ジャニーさんへの謝罪」にまで踏み込んだ発言をさせたのだから、
何かが変わり始めているのかも知れない。
マスコミ報道の変容ぶりも含めて。

繰り返すが、SMAPは「解散しない」とは一言も言っていない。
当面は解散しないにせよ、
永続的な存続は確定していないのである。

罵詈雑言飛び交うインターネットの世界で、
「解散して欲しい」なる声は一つも聞いたことがない。

それほど愛されているグループを、
ジャニーだメリーだ、世間の誰も顔を知らない人々が
(間接的とは言え)握りつぶそうとした。

これで「ノーサイド」だとは、誰も思わない。

「終わりの始まり」であることは、誰も異論がないだろう。

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幻のブログ

CHAGE&ASKAのASKAが人知れず公開したブログが話題になっている。

スーパーミュージシャンから一転、愛人とともに覚醒剤で逮捕され、一気に階段を転げ落ちたASKAが、自身の音楽人生と「クスリ」との出会い、転落までを10万字に綴ったものだ。

しかしスタッフの手で、アップされたブログは即座に消去された。悪影響があると判断したのだろう。しかし時既に遅し、すでに保存されたものが他によって再公開され、芸能マスコミも報じている。

この文章がネットから消えることは未来永劫ない。スタッフの「妨害」も空しく、ASKAの思いは完遂されたわけだ。

誤字も多く、稚拙な文体。編集のプロの手を経ないものはだいたいこんなものだが、だからこそ「生々しい」。これは本当にASKAが書いたものか、といぶかる向きも少なくないが、「スタッフが慌てて削除した」というところからも、間違いなくこれはASKAが書いたものだろう。

前半は、「イタいおやじのつぶやき」。節々に出てくる専門用語がなんとも青臭い。ルー大柴の英語のような「ギャグ」にも見える。

そして後半、「薬物」「盗聴」そして「逮捕」と、鬼気迫る内容となっていくのだが…。

章の終わりごとに出てくる散文詩が、よくわからない。ASKAファンは一字一句確認しながら、何かを読み取ろうとするのだろうが、そうでない読者にはただただうっとうしい。

誰かが指摘していたが、相方のCHAGE、そしてASKAの妻に関する記述はとても少ない。CHAGEについては突き放すような言い回しに終始し、妻への言及はないに等しい。一方で、飯島愛については1章を割いている。愛人説もささやかれているが、友人のひとり、としている。

その飯島のくだりから「盗聴」「クラッキング」について言及が始まり、ラストの「警告」につながっていく。ここに、この宮崎の書いた(であろう)文章の「怪しさ」が詰まっている。

要するに「ほんとにやられてるの?」という素朴な疑問である。実際調べてもらっても何も出なかったのに。そしてこの部分がむやみに説明過多で冗長なのだ。「妄想ではない」、ASKAは強調するが…。

そうなると文章全体の信憑性も怪しくなってくるが、さすがに全体が妄想ということはなさそう。事実、薬物を使用したことは事実なのだし(一方で、愛人については無実を切実に訴えている)。

「週刊文春」への敵意丸出しの部分は逆に生々しい。絶対訴える、と意気軒昂だ。しかしその割に、最後に警告までしてみせたクラッカー集団については伏せ字を貫くところには首をかしげる。

ときおり出てくる「人間は8割力を出せば…」のような、人間行動に関する決め打ちが印象的だ。専門家でもないのに、人間とはこういう生き物である、という断定が出てくる。

つまり、ASKAは弱い人間だったのだろう。薬物に負け、おそらく今も克服し切れていない。そして、周囲の人間も信頼できず、結果こういう文章をアップし、消されてしまう。孤独で弱い人間なのだ。

ASKAが音楽シーンに戻る日は、近くないのだろうな、と、長ったらしい文章を読んで素直に思う。

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由紀さおり Complete Single Box

スカパーの「ファミリー劇場」に加入し、
「ドリフ大爆笑」ばかりを見ている。
加入したときには1979年ごろのものを放送していて、
「バカ殿様」も、もとはこの番組のコントの一つであったことも分かった。

そのバカ殿コントで、志村扮するバカ殿からいつも
年増呼ばわりされる腰元が「由紀さおり」。
ところが調べると当時はまだ32歳ごろ。
なのにどう見ても40代の落ち着きをかもし出している。

毎回、番組後半には本業の歌も披露している。
何度も見ている内に気になってきて、
iTunesでダウンロードしてしまったのが表題のアルバム。

AMAZON(試聴可)

実際は数年前にリリースされた3枚組CDボックスである。
60年代から00年代までのシングルA面作だけが収められている
(ただし最後の1曲だけ、ボーナストラックとしてB面曲)。

解説付きのライナーノーツ(=歌詞ブック)同梱とのことで、
今となっては「やっぱりCDで買えばよかったかな」と少し後悔。

このボックスを聞いて、由紀さおりのイメージがかなり変わった。
それまでは「女優も出来る小器用なオバさん歌手」のイメージしかなかったが、
知られざる(?)「スーパーシンガー」だったのだ。

知っている曲は初期の「夜明けのスキャット」「手紙」くらいしかなく、
それ以外は、大野雄二作の「故郷」を聞いたことがある程度で
このボックス収録作の大半は初めて聴いたものばかり。
ヒット作にはあまり恵まれていない人なのだ
(だからこそバラエティやドラマに精力的に出演できたのかもしれないが)。

通しで聴けば3時間は超えるボックスをずーっと聴いてみた。
なんとも聴き応えのある曲ばかりなのだ。

購入以後、気に入った曲を繰り返し繰り返し再生しているが、
「夜明けのスキャット」も「手紙」も聴かないくらいだ。
(「故郷」は聴きますよ、大野雄二ファンだから)

「ドリフ大爆笑」で80年前後に披露していた曲が個人的にはお気に入り。
「男ともだち」「悲しい悪魔」「両国橋」「ストレート」あたり。

「両国橋」は松平純子のカバー曲で、
吉田拓郎の曲が心地よいライトなポップス。
情景が浮かぶ喜多條忠の詞も良い。

「悲しい悪魔」もフリオ・イグレシアスのカバー曲。
ハイトーンに至るメロディは歌唱力を求められるが、さらりと歌いこなしている。
「ストレート」は一転して寂しげなフォークで、
ビブラートを一切効かせていないところに技量の高さを感じる。

時代はさかのぼるが、
70年代は(単純にリリース数も多いというのもあるが)より充実したラインナップ。

これまた吉田拓郎による、CMソングのような
キャッチーなフレーズの連続で引きつける「ルームライト」、
叙情的なメロディが印象的な「みち潮」、
都会的なアレンジが聴かせる「トーキョー・バビロン」…。

「かたちばかりの幸福」は、由紀本人の私生活を投影しているような歌詞でこれも印象的。

由紀は20歳で年上のディレクターと結婚したが、早々にすれ違いを起こし、
7年で別居、さらに7年後に離婚している。
30代前半で容貌に貫禄をたたえるようになったのは
そういう苦労もあったからだろうが、
アルバムを聴く限り、歌手としてはより脂が乗っていく。皮肉なものである。

芸の幅の広さを感じさせるものとして、
小唄・端唄調、はたまた演歌調のヨナ抜き曲も少なくない。
70年代の「恋文」、80年代「木遣り育ち」、00年代「酔って膝まくら」などなど。
なかでも「矢車草~夢二のおんな」は疑いようのない演歌だ。

ポップス歌手のイメージが強いが、
日舞のBGMとして使われるような舞踊歌謡については
(このCDには入っていないが)70年代からすでに取り組んでいたようである。
近年も「お江戸でござる」のレギュラーを務めていた関係で、
演歌調の曲をリリースしているが、「お手のもの」といった印象だ。

「渥美地方の子守唄」「赤い星・青い星」は「みんなのうた」採用曲。
後者は竜崎孝路のアレンジも素晴らしく、
ある夜にほろ酔い加減で聴いていたら、
不覚にも涙が出てきてしまった(年だね…)。

作家陣は実に豊富。
吉田拓郎、谷村新司、南こうせつ、伊勢正三、
玉置浩二、宇崎竜童といった有名ミュージシャンが提供しているし、
作曲家・作詞家を見ても、岩谷時子、なかにし礼、
山上路夫、久世光彦(小谷夏/市川睦月名義)、すぎやまこういち、
平尾昌晃、阿久悠、秋元康、船村徹とそうそうたる面々が揃う。

吉田正に至っては、「彼女の曲を作りたい」と
東芝EMI(現在のユニバーサル)所属の由紀に、
ビクター所属の吉田御大からオファーをかけ、
特例として「お先にどうぞ」をビクターからリリースしたのだそうな
(そのため、iTunesでは「お先にどうぞ」がアルバムに含まれていないが、
単独ではダウンロード可能)。

多岐にわたるジャンルを縦横無尽に歌いこなす
由紀さおりのスーパーシンガーとしての実力を、
これでもかと思い知らされるボックスであった。

先日、テレビのインタビューで話していたが、
「紅白に落選したことが、姉(声楽家・安田祥子)との
活動に取り組むきっかけとなった」という。
以後は姉と童謡コンサートに力を入れるようになり、今に至るのだが、
本来の「流行歌手」としても、まだまだ忘れられてはならない存在だと思う。

「夜明けのスキャット」で一発屋的扱いをされることもあるが、
非常にもったいない。

近年、アメリカのジャズバンド「ピンク・マルティーニ」との共演アルバムが
iTunesで配信され、海外で話題を呼んだことは記憶に新しい。
世界で認められる歌声なのだ。

少しでも多くの人に彼女の曲を聴いて欲しいと願う次第である。


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大吉駅長を見に行く

杉本哲太トークショーを見に久慈市へ。
「あまちゃん」で北三陸駅の駅長役を好演した人である。

1200人の応募があったそうだ。キャパは(急きょ増やして)700人。
「あまちゃんファン感謝祭」に落っこちたリベンジには成功した。

会場は久慈グランドホテルの大ホール。
まあ、フラットな会場だから当然前はよく見えませんわな。(苦笑)

IBC岩手放送主催ということで、司会は同局の奥村アナ。
海女さんのコスプレ。人妻なのに無理をして…(苦笑2回目)
話を聞いている限り、ドラマはよく見ているようだった。

「駅長」杉本哲太は、会場後方から「ゴーストバスターズ」のテーマに乗って登壇。
ドラマと微妙に異なり、三陸鉄道の車掌の扮装。
この格好で岩手県のPRを行っているからである。

トークショーは不得手とのことだったが、
おしゃべりは上手だった。

ドラマ撮影の秘話、共演者エピソードなど。
鉄道を使った撮影は、列車運行中の撮影であり、
時間に追われての撮影だったとのこと。

ロケ中、出演者陣は連日、久慈の名物「スナック」に通ったという。
小池徹平は次の日が休みだからとテキーラを飲み酔いつぶれたのだそう。
いっぽう、小泉今日子は「ザル」で、飲みに行くと、
朝までテンションが変わらない、という「超人」だそうだ。

能年玲奈は、最近よく出ているバラエティ番組同様、
あんな感じのしゃべり方なんだそうな。

途中からは三陸鉄道の運行部長を交えて、
三陸鉄道復旧についてのお話も。

トークショーは1時間で終了。
駅車庫にて「名誉駅長就任式」があるとのことだったが、
いつ始まるかわからないうえ、天気も怪しかったのでパス。

(調べたら、どうもすぐに式典は執り行われたとのこと。
見に行けばよかったな~後悔)

部長曰く「一日駅長は一日で終わるが、
名誉駅長は今後永久に名誉駅長」とのこと。

久慈駅前はイベントも手伝い、なかなかの賑わいを見せていた。
宇都宮ナンバー、富山ナンバーの車も見た。
「にっくきモータリゼーション~」。
…まあ自分もそれに加担して、盛岡から車で来たんですけどね。

トークショーの質問コーナーで最後に質問をしたのは、
神戸から来たという男性だった。

久慈と言えば閑散…というイメージだった。
「パッとしない町」から、宮藤官九郎が
イマジネーションを膨らませて書いたドラマだったわけだし。

それがこの賑わい。
まあ、駅から多少離れると、見慣れた久慈が残っていたわけだけれど。
ドラマの効果もそう長続きはしないだろう。

…だからこそ、この好機を糧に、
ドラマで一度つかんだ客を離さず、
またドラマに頼らない集客への努力もしていきたいところ。
名誉駅長に頑張ってもらいましょう。

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タモリ伝説

「笑っていいとも!」が来年3月での終了を番組中に発表した。

もうここ10年ほどは、散発的に「番組終了」のうわさが立っては消えていた。
とくにここ数年は視聴率が低迷、リニューアルを繰り返していた。

テーマ曲を変更してまた元に戻したりしたのは記憶に新しい。

さらに今年春には、主役の「森田一義」ことタモリの出番をグッと減らしていた。
タモリの体調が悪いという説も出たが、リニューアルの一環でしかなかった。
しかしこれも奏功せず。

ドラマ出身の亀山社長が、背水の陣で「聖域なき改革」を求め、
この「世界的長寿番組の終了」を決断したようである。

もとより、人を食ったような「森田一義アワー」なる副題からして、
ジョークで始まったような番組だった。
「怪しいタレント」だったタモリを、お昼の顔に据えた実験的番組だった。

その怪しいタレントが、足掛け32年間のロングラン。
ギネスブックにも載った。
タモリは「国民の皆様に感謝です」と語っている。

最近の低迷は、時代の流れもあるだろう。
星の数ほど裏番組を蹴散らしてきたが、
最近では情報系の「ワイド!スクランブル」「ひるおび」が安定。
情報とバラエティのゆるい折衷「ヒルナンデス!」も支持を集め、
いいともの牙城は切り崩されていった。

そしてマンネリ。
レギュラーもコーナーも間断なく変えていったが、
最近トンと見なくなった「公開放送」というスタイル自体に限度があった。

番組終了に至る原因について、
32年間のどこかがターニングポイントだったのでは、
というのを探す向きもあるようだが、おそらくどこにもない。

個人的にはジャニタレの重用が気に入らなかったが、
放送歴の半分くらいは頼っていたから、それを悪役にはできない。

時代の流れとマンネリ、それに尽きるだろう。

さて、タモリ。その今後だ。
このブログのアクセス数の半分以上は「タモリ伝説」に集まっているので
当然気にはなる。

「タモリ倶楽部」「ミュージックステーション」も
降板し、一気に引退へ…ということも考えられる。

早稲田の先輩である大橋巨泉も、老境に差し掛かるころ、
「セミリタイア」と称し、段階的に引退していった
(いきなり国会議員になってすぐやめたりしたが)。

タモリも、仕事を減らしていく方向を考えているのだろうか。
好きなもの…電車、坂道、ジャズ、料理、酒をたしなむ生活へ
スライドしていくのだろうか…。

いやいや、ソバ打ちみたいな地味な暮らしは、
タモリ自身が求めていないのではないか。

老いぼれながらもふざけるタモリも見てみたい。

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「あまちゃん」より「あめちゃん」!?

「あまちゃん」の記憶が薄れつつあるなか、
ツイート検索してみると、
「あまちゃん見てへんからわからへん」「あまちゃん嫌いやねん
といった書き込みが妙に目立った。

「関西では『あまちゃん』は不人気」なんて言ってたしなぁ。
やっぱりそうなのか…

…と思ったのだけど。
視聴率で見る限り、日本人の半分以上は見てないはずだし
(録画やBSで半分は見てたという説もあるが)、
関西に限ったことではないのかな、という結論。

おそらく、その「関西弁ツイート」が目についただけだった。
っていうか、方言でツイートしてるのって関西人だけじゃね?とも。
普段から関西弁使ってる…というか、つこてるし、
電脳空間上で同じ口調になるのは当たり前なのだ。

東北人は東北弁でツイートしないし、
九州人は九州弁を使ってつぶやかない。
例外もいるけど、関西人ほどじゃないでしょう。

東京でも、関西弁は妙に目立つ。
方言を隠そうとしない。

いかに関西弁、近畿方言が「地位を得た方言」であるかの証左だろう。
本来の「都」であるわけだし、
いまもテレビで関西方言を聞かない日はまずないし。

やっぱり東京行ったら、東北弁、ズーズー弁は隠そうとするもの。

最近、東北弁を使う若い方言タレントが出てきているけど、
隠そうとしてきたことの反動なんだろうな、と。

ただあれもレアケースで、
いま高校生とか子供から方言を聞くことはまずないし。

「あまちゃん」では「GMT」という地方出身者が
アイドルグループを結成する、という設定があったけれど
若い女の子が「なまり丸出し」で話し合う、なんて、
現実にはまあありえない。
ありえないから、面白いわけだね。

GMTには関西出身者はいなかった。
だって、視聴者は関西弁を聞き飽きてるんだもんね。
宮藤官九郎はそこをよくわかっていたのだろう。

主演含め、キャストにかなり関西出身者がいたが、
ほとんど聞かれることはなかった。

唯一、古田新太演じる太巻が、
関西弁を「恫喝」するときに使い、
「悪のアイコン」になっていた。

だから関西の視聴者に嫌われた…わけではないんだろうけど。

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「ごちそうさん」ならぬ「ごっつぁん」!?

「あまちゃん」について、
自分なりに総括しようと思っていたが、
そうそうたるお歴々が様々な総括を行っているので、
オツムの弱い自分なんぞおこがましいと思い、やめた。

で、「ごちそうさん」は計2秒しか見ていない自分が
書くのもなんなのだが。

早々に、「ごちそうさん」が「天城越え」ならぬ「あま越え」。
視聴率27.3%をたたき出し、「あまちゃん」の最高である27.0%を抜いたという。(日刊スポーツ

しかしこれには「からくり」がある。
「お膝元」である関西が21.4%という凡庸な数字(でもないが)だったことに秘密があり、
実際は「台風情報」を得ようとした視聴者が、
そのまま「ごちそうさん」に流れたようなのだ。(スポニチ

ただし。
それがなくても、「ごちそうさん」は好発進中で、
連日高視聴率御礼なのだ。
「あまちゃん」が当初は低空飛行だったことに比べると…。

「朝ドラの歴史を変えた!」と散々持ち上げられた「あまちゃん」の後なら、
絶対視聴率は下がると思われていたのに、ふたを開けてみれば、である。

しかし、この高視聴率は「あまちゃん」が支えている、という側面もあると思う。

(1)「あまちゃん」で朝ドラ視聴の習慣がついた

朝の連続テレビ小説、通称朝ドラは、伝説の「おしん」をピークに、
どんどん視聴率は下がる傾向にあった。

そんな中で、宮藤官九郎という「飛び道具」を起用した「あまちゃん」は、
社会現象とまで言われたヒットドラマになった。

8時になったら「朝ドラ」を見る、という習慣をつけた視聴者が、
そのまま「ごちそうさん」を見続けているのであろう。

(2)「あまちゃん」は見ない、と決めていた人々の「反動」

「飛び道具」的なドラマだった「あまちゃん」に反目していた視聴者が、
「朝ドラの王道」的作品である、という前評判で始まった「ごちそうさん」で、
朝ドラに帰ってきた、というパターン。

または、「あまちゃん」が終わったから、
次回作がどんな作品かは知らないけど、まあ見てやろう…という、
"あまノジャク"な人もいるかもしれない。

(3)「あまちゃん」が評判だったから、朝ドラを見てみた

朝ドラを見るという習慣は「あまちゃん」放送期間中もなかったが、
みんな盛り上がっていたから、じゃあ、朝ドラってやつを、見てみよう。
で、「ごちそうさん」で朝ドラデビューを果たした視聴者もいると思われる。

問題は、(4)「あまちゃん」が終わったから朝ドラ視聴はやめる、という人。

自分もこのパターンであるが、こういう人が多い、と思っていたら、
実は案外、みんな(1)だった。

さらに(5)「あまちゃん」は見ていたが、「ごちそうさん」はつまらない、と感じ視聴をやめる
という人も、あまりいない。
Twitterでは好意的な感想が大半のようである。

なるほど、こりゃ「あま越え」するわな。

「ごちそうさん」はその「王道」的内容からみて、
「朝ドラを変える」ほどの存在にはどうやらならないだろうが、
人々の記憶には、残りそうな雰囲気。

「あまちゃん」の後番組、という重圧を軽く「食べて」しまったわけだ。

まあ、2秒しか見てないからよく知らないんですけどね・・・。

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落語家の通信簿

三遊亭円丈著。祥伝社新書。
「落語家が落語家を評論する」、著者曰く「世界初」の書。

評価を下す同業者(本人含む)は53名。
鬼籍に入った大師匠から、長老、笑点メンバー、
立川流、円楽党、若手ホープ、上方人気落語家まで…。

にわか落語ブームで「落語評論家」が書いた本を幅を利かせる中、
こういう人々が書く本は、
うさんくさいんだよな…とこの本を著したという。

自分じゃ落語もできないくせに、
「この落語家が一位!」なんてぬかすな、と。
ああ、こりゃ堀井憲一郎だな、と。

異常な数の落語会を鑑賞し、いつ仕事してるの?と思うような
「落語依存症」もいると。これは広瀬和生。

こういう評論家を標榜する人たちと比べ、
円丈自身は、常日頃から他の落語家の口演を
いつも聴いているわけではないという。

ろくに聴きもしないで同業者を批評するな、
という声もTwitterで聞いたが、
序章で円丈ははっきり、
「落語家が、人の落語ばかり聞いてるわけにもいかない」と言っている。

広瀬みたいに、異常な回数の落語鑑賞をした上での評論、
というのも常軌を逸しているが、かといって
あんまり落語に触れていない人の評論は、
あまり信用はできない。

だったら、プロがプロについて語ってやろうじゃないか。
そして円丈はこの危険な賭けに出た。

序章で円丈は「落語の楽しみ方」を提案していく。
よくあるガイド本にもこんな一節はあるが、
プロ中のプロは、ジョークを交えながらレクチャーしていく。

「落語なんて娯楽なんだから、楽しめばいいのだ」
という見方には全面同意する。
それこそ広瀬のように、過去の誰それの口演を引き合いに出して
比較したりなど、現実味に乏しい。

落語は高尚な芸術なんかじゃない。娯楽なんだから。
その「たかが娯楽」に落語家が身を削って腐心する。
それを客は高みの見物としゃれ込む。それがいい。

何も予備知識をため込んで理論武装して、
落語家に対峙する必要はない。
そんな考え方を、円丈は序章で教えてくれる。

そして実際に落語家を評価していくのだが、
もちろんこれは見てのお楽しみ。

評論する53名のうち、
知り合いの落語家が多いのはしょうがないが、
あまり接触がない落語家で、人気落語家とされる人たちも、
俎上にあげている。

通して読んでみたが、本気だかどうだかわからないところもいい。
自らを採点してみせるところなんかは、円丈節の真骨頂だ。
先述の堀井や広瀬、福田和也あたりの
「落語評論家を気取る落語の素人」へのイヤミも痛快である。

中でも談志以下、立川流の人気落語家を論じる章は
ネット上で話題になっている
(それでこの本を買ったのだが)。

立川談志に対しては、辛口ながら思い入れも感じさせる一方、
「談志イズムの継承者」立川志らくへの書きぶりは辛辣で、
「おすすめ演目」欄に至っては「おすすめしない!」。

確かに、師匠譲りの「高慢」「傲岸」が気になる人には快哉…なんだろうが、
いいのこれ?と思ってしまう。
読んだ志らく本人は「私はあんな書き方しません」とさすがに少し腹を立てている。

円丈としては、くぎを刺したつもりなんだろう。
「お前、それでいいと思うなよ」、と。
志らくやそのファンが反応することを分かっていて、あえて書いている。

近年の円丈は老いもそろそろ隠せなくなっているが、
やはり牙は磨いているのだ。

そう、若き日の円丈がその牙をむいた、兄弟子の三遊亭円楽についても、
相変わらず辛辣な評価を与えている。
弟子は促成栽培で甘やかしだから大した落語家もおらず…と一門にも冷酷だ。

しかし実際、円楽会で客が呼べる落語家というと、
六代目円楽くらいしかいないのも事実であり…。

口跡…いや筆跡は過激だが、はたと膝を打つ一冊であったと思う。


落語家の通信簿(祥伝社新書)

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蝶よ花よ

交通事故で亡くなった「桜塚やっくん」。
「スケバン恐子」のネタで有名な芸人だった。

地方イベント出演のため、自ら自動車を運転していたところ、
高速道路で中央分離帯に衝突、
車外に出たところをはねられ、
マネージャーとともに死亡した。

一時、やっくんは「エンタの神様」で「スケバン恐子」を披露、
その容貌とあいまって売れに売れた。
しかし「キャラを消費する」と言われる「エンタ芸人」の凋落は早い。

しかもやっくんの場合はスキャンダルがふってかかり、
芸能マスコミに書き立てられて、
一気に露出がなくなる。

最近は女装バンドを組み、地方を回り活動をしていた。
言葉は悪いが「ドサ回り」的なものだが。

やっくんはメンバーやマネージャーを連れて、
自分で車を運転していた。
それがあだとなってしまった。

亡くなった後、芸能マスコミは「桜塚やっくん一色」。
芸人仲間の「いい奴だった」というコメントから、葬儀の内容まで。
スターの最期…。

しかし、マスコミも勝手なものだ。

持ち上げておいて、一気にスキャンダルで突き落とし、
無視を続けていたくせに、
死んだら蝶よ花よの扱い。

タレントなんてしょせん「商品」なのは分かっているけど。
マスコミのこの勝手さ…

「戻らぬあの笑顔」、なんて気持ち悪い。
泣き顔ばかり追いかけているくせに。

逆に言えば、それだけの扱いを受けることを
覚悟していないと、タレントなんて勤まらないのかもしれない。

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