落語

落語を楽しみたい…

昨日盛岡市で開催された「落語教育委員会」に行ってきた。
会場はプラザおでって・おでってホール。
300名ほどのちょうどよい広さで、
演者との距離感も近かった。

有名な「携帯コント」のあと、
開口一番は立川流の泉水亭錦魚「元犬」。

柳家喬太郎「幇間腹」、
三遊亭歌武蔵「支度部屋外伝」、
柳家喜多八「お直し」であった。

…以前なら、マクラから何から覚えて、
このブログでご報告申し上げたのだが。

もうおっさんになっちゃって、
覚えるのがうっとうしくなりましてね…(苦笑)

ブログに書こうと思って覚えようとすると、
落語を聞くのに身が入らなくなる。

かといってメモ帳出すなんて無粋丸出しだし
(東京の寄席行くと、客席そんな人ばっかりだけどね)。

そうでなくても、帰り時刻が気になったりするタチなので
生の落語で集中できたことはあまりなかったりする(笑)。

この日の回も開場6時、閉幕9時過ぎ。

とくに、トリのキタナヅカ(喜多八)は
もとよりボソボソ口調が特徴的で、
前半は聞き取るのに疲れる始末。

郊外住まいには帰りのバスが心配だったし、
夕食を食べるひまもなくておなかは減ってるし…。

おまけに眠気も襲ってくるのだが、
演目名だけは忘れまいと必死。

あぁ、落語を腹から楽しみたい…。

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21世紀の落語入門

小谷野敦・著、幻冬舎刊。

広瀬和生「落語評論はなぜ役に立たないのか」を読んで
胸くそ悪くなった方にはぜひ読んでもらいたい。

この広瀬本への批判も含まれているが、
「生の落語を聴かない奴は落語を語る資格なし」と言いたげな
昨今の落語ブームに警鐘を鳴らす、そんな本だ。

広瀬や堀井憲一郎のように、
毎日なんらかの落語会に出向いては評論文をしたためているような
「落語ホリック評論家」は信用するな、と説く。

初心者が聴くなら、「過去の名人の録音でもいい」とし、
生の高座は見られる環境にあれば見ればいい、程度。
我々のような地方在住者は快哉を叫びたくなる。

また、「誰それは名人」という「通説」を信用しなくてもいい、と説く。
たとえば、著者は「志ん生はよくわからない」と断じる。

これはよくわかる。確かに、みな名人だ、名人だ、と言うけれど
音源を聞いてもおじいさんがムニャムニャしゃべっているだけにしか聞こえない。

こういうと「お前は素人だな」と笑うのが落語ファンだったりするのだが、
著者はそこにくさびを打ち込んでいるのだ。

ただ、痛快なのは序盤だけで、中盤以降はやや読みにくくなる。

博覧強記な著者は、落語同様に好むという歌舞伎や、
クラシック音楽、ヨーロッパ文学などでたとえ話をするのだが、
これが門外漢にはチンプンカンプン。

あと、落語に限らず「◯◯は傑作だ」「◯◯はくだらない」と言った、
著者の個人的趣味に基づいた断定的記述も多く
(ほぼ誹謗中傷レベルの危なっかしい部分もある)、
くしくもこういう部分は広瀬本に通底する。
まあ、「毒をもって毒を制する」とでもいおうか。

小難しくて意味不明な文、
趣味を押しつける毒々しい文…これらの中に、
スカッとする部分が出てくるから、
よけいにスカッとする。
そんな本である。

寄席もそうだ。著者も言うが、
面白い落語家もいるし、つまらない落語家もいる。
だから、寄席は面白い。
…おっと、寄席礼賛をしてしまったではないか。

この本は「スカッとするための本」ではなく
「21世紀の落語ファンへ贈る入門書」のはずなのだが、
後者としては、やや心もとない…のは、ご愛敬かな。

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落語家の通信簿

三遊亭円丈著。祥伝社新書。
「落語家が落語家を評論する」、著者曰く「世界初」の書。

評価を下す同業者(本人含む)は53名。
鬼籍に入った大師匠から、長老、笑点メンバー、
立川流、円楽党、若手ホープ、上方人気落語家まで…。

にわか落語ブームで「落語評論家」が書いた本を幅を利かせる中、
こういう人々が書く本は、
うさんくさいんだよな…とこの本を著したという。

自分じゃ落語もできないくせに、
「この落語家が一位!」なんてぬかすな、と。
ああ、こりゃ堀井憲一郎だな、と。

異常な数の落語会を鑑賞し、いつ仕事してるの?と思うような
「落語依存症」もいると。これは広瀬和生。

こういう評論家を標榜する人たちと比べ、
円丈自身は、常日頃から他の落語家の口演を
いつも聴いているわけではないという。

ろくに聴きもしないで同業者を批評するな、
という声もTwitterで聞いたが、
序章で円丈ははっきり、
「落語家が、人の落語ばかり聞いてるわけにもいかない」と言っている。

広瀬みたいに、異常な回数の落語鑑賞をした上での評論、
というのも常軌を逸しているが、かといって
あんまり落語に触れていない人の評論は、
あまり信用はできない。

だったら、プロがプロについて語ってやろうじゃないか。
そして円丈はこの危険な賭けに出た。

序章で円丈は「落語の楽しみ方」を提案していく。
よくあるガイド本にもこんな一節はあるが、
プロ中のプロは、ジョークを交えながらレクチャーしていく。

「落語なんて娯楽なんだから、楽しめばいいのだ」
という見方には全面同意する。
それこそ広瀬のように、過去の誰それの口演を引き合いに出して
比較したりなど、現実味に乏しい。

落語は高尚な芸術なんかじゃない。娯楽なんだから。
その「たかが娯楽」に落語家が身を削って腐心する。
それを客は高みの見物としゃれ込む。それがいい。

何も予備知識をため込んで理論武装して、
落語家に対峙する必要はない。
そんな考え方を、円丈は序章で教えてくれる。

そして実際に落語家を評価していくのだが、
もちろんこれは見てのお楽しみ。

評論する53名のうち、
知り合いの落語家が多いのはしょうがないが、
あまり接触がない落語家で、人気落語家とされる人たちも、
俎上にあげている。

通して読んでみたが、本気だかどうだかわからないところもいい。
自らを採点してみせるところなんかは、円丈節の真骨頂だ。
先述の堀井や広瀬、福田和也あたりの
「落語評論家を気取る落語の素人」へのイヤミも痛快である。

中でも談志以下、立川流の人気落語家を論じる章は
ネット上で話題になっている
(それでこの本を買ったのだが)。

立川談志に対しては、辛口ながら思い入れも感じさせる一方、
「談志イズムの継承者」立川志らくへの書きぶりは辛辣で、
「おすすめ演目」欄に至っては「おすすめしない!」。

確かに、師匠譲りの「高慢」「傲岸」が気になる人には快哉…なんだろうが、
いいのこれ?と思ってしまう。
読んだ志らく本人は「私はあんな書き方しません」とさすがに少し腹を立てている。

円丈としては、くぎを刺したつもりなんだろう。
「お前、それでいいと思うなよ」、と。
志らくやそのファンが反応することを分かっていて、あえて書いている。

近年の円丈は老いもそろそろ隠せなくなっているが、
やはり牙は磨いているのだ。

そう、若き日の円丈がその牙をむいた、兄弟子の三遊亭円楽についても、
相変わらず辛辣な評価を与えている。
弟子は促成栽培で甘やかしだから大した落語家もおらず…と一門にも冷酷だ。

しかし実際、円楽会で客が呼べる落語家というと、
六代目円楽くらいしかいないのも事実であり…。

口跡…いや筆跡は過激だが、はたと膝を打つ一冊であったと思う。


落語家の通信簿(祥伝社新書)

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人生、成り行き~天才落語家立川談志~

稀代の落語家・立川談志の半生を描いたドラマが、
NHKBSプレミアムにて8月11日に前編、18日に後編が放送された。

松岡克由少年が16歳で柳家小さんの門をたたき、
75歳で死ぬまでを描き、
それぞれの年代に応じて3人の俳優が演じた。

前編「青春」では、談志役を小出恵介が務めた。
前座・二つ目時代から、沖縄で啖呵を切った40歳まで
若くて生意気で鼻っ柱の強い男を表現した。

「らくだ」「蜘蛛駕籠」など、
稽古シーンや高座シーンも器用に演じてみせた。

前編の前半で、やや説明的描写がクドい感があったが、
小出の熱演は、それを帳消しにした。

いっぽう後編「家元」では、中山秀征が演じた。
これが一番話題になったもとだろう。
遺族が中山のキャスティングを希望したというのだが…

一般的には「芸がない」「事務所の力で売れた」イメージの強い「ヒデちゃん」だが、
このドラマでは、「変人」立川談志を体当たりで見事に演じきっている。

中山のトレードマークであるガラガラ声も、
晩年の談志にぴったりと合っていた。

そして、前編・後編通じて断続的に挿入される、
口もきけなくなった最晩年の寂しい姿を、
舞踏家の田中泯が好演した。

最晩年のシーンではセットを意図的に最低限にし、
ホリゾント(スタジオの壁)をむき出しにして、
文字を映写する、舞台のような演出が試みられた。

また、それぞれの年代において、
ターニングポイントとなるシーンでは、
立川談志という「名跡」そのものが談志本人に語り掛ける、
という演出が行われた。

この「名跡」役=ナレーションは、弟子の立川談春。
談志を愛してやまぬ弟子の談春が、ドラマとはいえ
談志を冷静に批評するおかしさがあった。

志の輔、志らくなどの有力弟子へのインタビューも挿入され、
弟子たちが立川談志を、文字通り「語りつくした」。

このドラマでは、
談志を語るのに重要なエピソードも大体網羅していた。

「師匠・小さんに、はむかいながらもキャッキャとおどけ合う」
「賞味期限のとっくに過ぎた食い物を弟子に”贈呈”する」
「クマのぬいぐるみをかわいがり続けた」など…。

当然、「落語協会脱退事件」も描く。
もう少し掘り下げてもよかったかな、
と思うがそれは贅沢な話か。

脇を務める俳優陣もなかなかのもので、
家族役の大谷直子や坂井真紀も存在感があったが、
驚くべきは柳家小さん役の柳亭市馬だった。

談志と親しい弟弟子ではあったが、
そうは言っても今や落語協会の副会長である。
禍根を引きずる中での出演は勇気が要ったかもしれない。

立川流一門の落語家も出演。
ネットでもおなじみ、「万年前座」の立川キウイは
実際と同じく弟子のひとりを演じた。
セリフなしだが、ひときわクサい演技で、
別な意味での存在感を漂わせていた。

また、談志生涯のライバル・古今亭志ん朝役にマギー、
のちに目覚ましい活躍をすることになる弟子・志らく役に森岡龍。
「あまちゃん」ファンは「おっ」と思ったのではなかろうか
(なお若き日の志ん朝役の太賀も「あまちゃん」に出演している)。

見ごたえたっぷりの計2時間であった。

…立川談志とは何者だったのか。
この番組では「生涯、落語を愛し続けた男」という答えを出した。

一時期スタンダップコメディアンになったのも、
参議院議員になったのも、「笑点」を立ち上げたのも、
すべては落語のためだった。
落語の衰退を憂い、注目を集めるためのこと。

どう見ても意味不明な行動を起こしたり、
過去と矛盾する言動を繰り返したり…
それも、談志本人は「矛盾のない人間はいない」と片付ける。

後半、談志が新潟で「談志米」の収穫を行い、
手伝ってくれた農家のおばちゃんを
「ああいう仕事をしている人のもうけと、
株とかでのもうけは違うね」と評価する実際の映像が流れた。

自らは「上納金」で弟子から金を搾取しておきながら何を言うか…と
思わず笑ってしまったのだが、
それもまた「立川談志」なのだ。

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柳家さん喬・柳家喬太郎親子会

6月30日午後1時よりプラザおでってホールにて。
小ぶりなホールだが、席もよく演者の顔も見られてよかった
(公会堂なんかひどいね…冬はめちゃめちゃ寒いし)。

主催者は老舗そば店。
もう30年、さん喬を呼んでいるという(初めて行ったけどね)。

今回は親子会。前日に秋田で親子会が開催されたそうで、
その関係で盛岡でも親子会が実現したようである。

開演後に主催者があいさつしたのだが、
「さん喬」を何度も「せん喬」と言い間違え、客席がどよめいた。
どうも、さん喬が受賞した「芸術選奨」をあいさつに入れようとして、
選奨の「せん」とさん喬の「さん」が混ざったらしい。

やや興ざめする中、前座は柳家喬四郎「つる」。
どこかで見たことあるなぁ、と思ったら
この秋に真打ち昇進するそうで、ならば「笑点」で見たのだろう。
あまり評価は高くないようだが、この日はキッチリと仕事をこなしていた。
マクラで「盛岡の人と文通していた」と言っていたが、ほんとかな?

続いて喬太郎登場。
いつものロマンスグレーにポンポコおなか。
ただ、間近で見ると意外に頬がこけているように感じた。
忙しいもんねぇ。

「あまちゃん」を録画して見ているそうで。
『きょうは「じぇ」とか言わないよ』。

相撲の話になり、小さんが鈴本の控室でテレビ中継を見る、
というのを説明するのに、座っている座布団をめくりあげて
「この座布団を控室だと思ってください」。
突拍子もない行動に客席も沸く。
演目は「花筏」。上方の「動物園」に似たお噺。

続いて師匠・さん喬登場。
盛岡には半年ごとに呼ばれているそうだが(そうなの!?)
喬太郎との親子会形式は初めて、とのこと。

ソムリエの話を始めたので、鉄板のワインの話かな、と思ったら、
若き日に兄(あに)さんとバーに行った話へ。

その話題も佳境と言うときに、客席から携帯が鳴る音。
客席が軽くどよめく中、さん喬はさらっと流そうとしたが
2度3度鳴ったためさん喬は「こういう話するなってことかな…」とボソリ。

意に介さず?「棒鱈」へ。
田舎侍は九州出身でもズーズー弁、と相場が決まっているが、
この日はズーズーの本場ということもあり九州弁を強めに。
いちーちがちー、にーがちーはテンテコテン、で笑いを起こす。

中入り後、再び喬太郎。
盛岡という場所はいいところだ、新幹線の連結で待ち時間があって、
なおかつホームに喫煙所があるから、と。

まくらで十分客席があたたまったところで
「古典はもう充分やったからね!」と高らかに宣言し
客席のヴォルテージを上げ、春風亭昇太・作「夫婦に乾杯」へ。

(会場の演目表には「夫婦乾杯」とあったが間違い。
翌日の地元紙がこの会を記事にしていたが、
この演目表を参考にしたためやっぱり間違っていた)

日本酒メーカーの開発部員たちの
夫婦関係を描いた爆笑もの。

ガッツリ笑いを取り、喬太郎は一気にテンションを下げ、
陰のある表情を見せながら下座に消えていった。
こうじゃなきゃやってられないよなぁ…。

「夫婦に乾杯」は「短い」のが欠点らしく、
さん喬の出番が遅れる。

喬太郎の高座が短すぎたため、
喬四郎から呼ばれてあわてて控室から出てきたとのこと。
(さん喬の口ぶりを聞く限り、
喬太郎とはあまり顔を合わせていないようである。
まあ、そういうものなんだろう)

というのも、実は「棒鱈」は前回も演ったんだそうで、
根多帳をチェックして重複しないようにしていたのだが
前回のは見落としてしまった。で、今度こそ…といろいろ考えているうちに、
出番になってしまった、と。

テレビから落語番組がすっかり消えてしまった、
テレビは放送禁止用語が多すぎる…という話題から、「心眼」へ。
爆笑新作の喬太郎と真逆の、
しっとりした噺で客席をさん喬ワールドに引き込んだ。

サゲのあと、緞帳がないため、さん喬は下座へはけて終了。

おでってホールは、入口が一つしかなく通路も少ない会場ではあるが、
距離感がいい会場だったな。
次回も是非行きたい。(そば屋の半額券になる半券は使えそうもないが…)

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若干の余裕

落語協会が、YOUTUBE上に
「林家こん平」の動画を掲載した。
「芸人紹介」という、落語家や色物芸人のPR動画の一環である。

こん平といえば言わずと知れた「笑点」の大喜利中核メンバーだった。
「チャンラーン」「新潟県チャーザー村」
「私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕が…」
などの「名ゼリフ」でお茶の間をにぎわしていた。

林家三平門下の「古株」。
若いころから陽気なキャラクターで、
CMなどでも人気を博した。
「らくご卓球クラブ」の立ち上げ人としても有名である。

しかし10年ほど前に病に倒れ、
「笑点」を降板。弟子の林家たい平にその座を譲った。

視聴者を安心させるためか「一時休養」という形となっているが
実際には復帰のめどが立たないままとなっていた。

これ以降、高座をはじめ、公の場に出ることもなくなり、
一時は卓球をする姿などをメディアに見せることもあったが
近年はそれもなかった。

「卓球くらぶ」の主要メンバーである三遊亭小遊三(落語芸術協会)が
こん平さんは元気でやっています、と
言葉だけでは言うのだが、
肝心の「本人の姿」が見えず、
なんとなく「そういう状態なのか」と思っていた。

そこへきてのこの映像である。
休養中、少しずつ漏れ伝わっていた本人の映像はいくつか見ていたが、
ずいぶんと老け込んでしまったな、というのが率直な印象である。

浅黒くつやつやとしていた顔は白くなり、
頭髪も抜けてはげあがっている。

そして本人は口を開かない。
原稿を読み上げる女性の声が聞こえるだけで、
こん平は眉間にしわを寄せたまま、
泣いているような表情を続ける。

「父」という言葉を発するその女性、
「はやし咲」というテロップから、調べたところ
こん平の次女で、司会者をしているとの情報がわかった。

司会者というだけあって立て板に水なのだが、
なんだか「心」は伝わってこない。
こん平はホロホロと涙にくれるだけ。

さらにこん平の著書の宣伝までこなし、
娘は「こん平さん」となぜか「さん」付けで呼びかけると、
こん平は「笑点」でおなじみの「チャンラーン」の口上をやるのだが、
その声はあまりにも変わり果てていて、
聞いていて唖然とする。

おそらくもう高座に帰ることはないんだろうな、
という印象を抱かせる、
嗄れに嗄れきった声である。

シンボルだった「チャンラーン」も、
左腕が明らかに上がっていない。

なんとも、やりきれない、というか、
がっかりさせられる映像である。

本人や協会側としては「元気」「健在」であることを
示そうとしているのだろうが、
「落語家・林家こん平」はもう戻ってこないのだ、
というイメージはかえって確固たるものになってしまった。

そりゃ人間は老いていくものだから、
致し方ない面もあるとは思うが、
こん平は「元気」が売りだっただけに、
その落差が大きいとショックも大きい。

「私はまだ落語家です」「笑点には必ず戻ります」と、
その状態で言い張ることが、本当にファンを喜ばせるのか。

まずは本人の言葉、本人の映像で
アピールしたい、という「思い」があるのだろうが、
それがますます、
「何とも言えない感じ」を抱かせるのだ。

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落語言いたい放題

個人的には、落語はいまのままでは衰退すると思っている。

以前もどこかで書いたかもしれないが、
日本の生活文化と、落語の世界の乖離がおびただしい。
長屋、ご隠居、一分二分。

「1円!もうかった」なんて、いつの話だ、
というたとえを出すまでもなく。

そもそも、落語のジャンルの一角を占める「女郎買い」だって
いまや「犯罪」だからね。

現代との乖離をよしとする風潮が、
落語にはあるけれど、
同じ道をたどるのが歌舞伎や能、文楽。

能や文楽と比べたら歌舞伎なんて大盛況じゃないか、
といわれるかもしれないけれど。

「四段目」「七段目」なんて落語があるように、
歌舞伎は庶民の娯楽だったはずなのに、
いまや万札出さないと満足に見れない高級エンタメ。

それに比べりゃ落語は…
5000円払うような公演もあるにはありますけれど、
基本的に寄席は2500円程度。

ちょっと話がそれつつあるが、
いずれ、世間から離れていけばいくほどに
「文化財」化するのは確かで。

あまりにディープすぎるファンが多すぎるのも、
それはそれで問題じゃないかと思う。
敷居が高くなっちゃう。

たとえば、音楽評論家だか落語評論家だかよくわからないおぢさんが
「俺は音楽評論のかたわら、年間350回の落語会に行ってるんだゾ!」と
エバってるけど、どうなんですかね。

「5月4日の三越ホールの志の輔は神がかった高座だった」
みたいなことを言ってるけど、
知らねーよ、って話で。

このおぢさんじゃなくても、
ブログなんかで「聞くに堪えない高座」
「聞いていて心地よくもないのに、眠りの世界へ…」なんて
軽々しく評論するプチ落語評論家の多いこと多いこと。

もっと気軽に楽しめるといいんだけどね、落語なり寄席を。
言いたい人には言わせておけばいいのかな、と思うが、
こういう人たちはとにかく「古典第一主義」で、
新作派や漫談派、爆笑派にはつらく当たる「プチ評論家」も少なくない。

そうなると、つまらない新作落語を聞くくらいなら、
つとめて古典落語を聞くべきだ!となり、
敷居がどんどん高くなりますな。
伝統芸能化が進みますな。朝丸ですな。

逆でしょ。
分かりやすい新作から入って行って、
じょじょにディープな世界に入っていくべきで。

それを頭ッから「新作落語なんてものが流行るから…」
などと言うから、みんな落語を遠ざけるんじゃございませんかね。

古典落語だって面白いし、
今でも色あせない名作はごまんとある。
ただ、言葉や世界観が難しい。
たとえば「なか」という言葉が「吉原大門の向こう側」を指すのだが、
知らないと何も理解できない
(そもそも「吉原大門」ですら説明が要る)。

それをハナから理解させようったって、
いまや売春は犯罪ですから無理ですよ。

そういう現状を見ずに、古典こそ最高の芸術だ、
RAKUGOはジャパンのオーソライズされたアイゼンチーチーだ、
なんて持ち上げるから、落語がすたれるんですよ。

ディープな古典至上主義者は、
初心者を引きずり込んじゃダメ。
年間300席も聞くような、常軌を逸した行動ができる
評論家筋をありがたがっちゃいけない。

敷居は低く、笑いは大きく。

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ふわっと、小さん

12月15日。BSスカパー!で放送された「三遊亭円生・掛取万歳」は新聞広告も出ていたが、
実はその前に「落語道 襲名」という番組も放送されていた。

落語協会が運営に関与する「寄席チャンネル」制作の番組で、実際には再放送。
円生の落語とセットで見てもらおう、という魂胆の編成だったようだ。

主役は「柳家小さん」。
小さんと聞くと大概の人は、坊主頭にまんまる顔の「あさげダヌキ」を想像すると思うのだが、
それは「先代」の五代目小さんである。
今回の主役はその息子である、当代の六代目小さんだ。

番組はまず、先代小さんの人となりをひもといていく。
3人の証言者、三遊亭圓歌、三遊亭金馬、鈴々舎馬風、
そしてナレーションも務める孫の花緑(当代小さんは叔父にあたる)へのインタビュー。

さらに本人の高座映像、「笠碁」。鮮やかな高座である。

続いて当代の小さんが、先代の墓参りをする様子が映る。
「私が小さんになるときは…(この墓地に)来たかな?」
「月命日に来るほど、信心深くもないもんで、あいすいません」。

その後は、当代小さんへのインタビューが続く。
話題は当然、先代、そして「父」である小さんとの関係。

落語家なり相撲取りなり、世襲をする人は、
父親のことを「師匠」「親方」と、
血縁をあえて否定するような呼び方に変えてしまう人も少なくないが、
小さんは「おやじ」と臆さず呼ぶ。
15歳の時に弟子入りし「師匠」と呼べなかったと言い、
それが今でも続いているのだ。

実に、飄々としている。

ただ、話題が「襲名」に移り、
「誰も小さんの名を継がないなら、俺が継ぐ」と語り始めたところだけは、
不思議な「気迫」を感じた。

先代の死後、一番小さんに近いはずだった小三治が、
「俺は死ぬまで小三治でいい」と襲名を辞退。

いっぽうの三語楼=当代小さん。
誰も「三語楼が小さんを継ぐべき」とは言わなかった。

「俺は、長男じゃねぇか」。
そして、小さん襲名に、名乗りを上げるのだった。

ただ、一般のイメージは先述のように、
未だに「小さん」といえばまず先代であり、
当代小さんはまだまだ存在感が薄い。

正蔵や文楽など、大名跡を継いで「しまって」、
けなされることが多い落語家の一人、といえる。

先代は言うまでもなく「名人小さん」であり、
CMやテレビドラマなどでも活躍、
落語協会では会長の職に長くとどまり「長期政権」を誇った実力者であった。

それにひきかえ、というと失礼だが、
当代小さんはあまり目だった実績はなく、
現状は「名前負け」の状況にある。

むしろ、小さんの名を要らないと言った小三治のほうが、
名人の呼び声高く、とうとう落語協会の会長になった。
そもそも「柳家小三治」は、「柳家小さん」の前座名のはずなのに…。

しかし、この番組でインタビューに答える当の小さんは、
総じて飄々としていて、気負いをあまり感じない。

場面は変わって、寄席・浅草演芸ホール。
そこで小さんは、
若旦那、と言った風情のふわっとした「替わり目」を演った。

高座がハネたあと、寄席の前で最後のインタビュー。
「ご隠居にはなりたくない。ずっと落語をやっていたい」。

小さんは「吉田類じゃないけど、もう一軒、二軒…」と言いながら、
酔ってもいないのに、浅草の街に、ふわっと消えていくのだった。

番組では取り扱わなかったが、 小さんは2席以上の落語をミックスして、
新しく作り直した落語にトライするなど、新しい試みも行っている。
客を「おっ」と言わせる企みも、「ふわっ」とやっているのだ。

当代小さんはどうも「貶すのが正しい落語ファン」みたいな風潮も感じている。
俺なんかひねくれてるからそういうのを見ると「フン」と思うんだけど。笑

そういうハンパな御通家を「ギャフン」と言わせる日が楽しみである。

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