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2013年4月

愛のないユニクロ

ブラック企業批判に対し、「ユニクロ」の
ファーストリテイリングCEO・柳井正会長が、
朝日新聞のインタビューという形で反論している。

なんというか、
「身もふたもない人」なんだろうな、と率直に思った。
身もふたもないからこそ、あそこまで成功するのかもしれないが。

新聞社によって編集されているので、
完全に柳井氏の見解を表現しているわけではないと思うが、
それにしても、「ブラック企業批判」でも
自信は一切揺らいでいない、という感じだ。

誤りを認めたのは「グローバル化を進めるのが速すぎた」という
軽微な一点のみ。
あとは自分の見解を、改めて強調している。

確かに、グローバル化はいまさら否定できないし、
甘えていては競争に勝てないことに至っては、
神代の昔から言われていること。

そんなわかり切ったことを、柳井氏はただ言っているだけ…
なのかもしれない。

ただ。
それにしては、柳井氏には「愛」がない。

"Glow or Die"、「成長か死か」なんだ、と柳井氏は言い、
「世界同一給与体系」構想をブチあげて見せた。

働かない奴は、貧しい国の水準の給料しかやらない。
その代わり、デキる奴にはとんでもない俸給をやろうじゃないか、どの国の人でも…
というのが、この構想である。

なるほど、愛がない。
要するに「できない奴は死ねばいい」と言っているに等しいのである。

「我がファーストリテイリングには、第二の柳井正、
そして柳井正を超える者だけが集まれ」。
これが柳井氏の理想なのだろう。

逆に、それについていけない者は去れ。
去れというより「わが社には要らない」。

わが社=理想社会、とするならば。
「この世に要らない」=「死ねばいい」と言っているようなものであろう。

そうやって異常に研ぎ澄まされた人間だけを、
世界からかき集めて、柳井氏は何をしようとしているのか。
もはやSF映画の世界である。

何も「みんなで助け合いましょうよ」「できない人、かわいそうだねー」
などと言いたいのではない。
この世が競争社会なのを否定はしない。

否定しないが、柳井氏はあまりにも身もふたもなさすぎる。
国境を飛び越えようとして、
柳井氏は倫理の境界線すら忘れかかっているのではないか。

「できない人」は一定数発生する。
というか「できない人」がいるから「できる人」も生まれる。
それはごく少数なはずだが。

しかし柳井氏は、その「できる人」だけを集めて、
成長を継続させようとしている。
「成長できなければ死」と言っているのだから。

「できない人には死を与える」ことで、成長しようとしているのだ。

そんな経営者の運営する店舗に、魅力があるか。

きょう、ファーストリテイリングの第2の業態「GU」の
新店舗に行ってみた。

平日の午後、若いお客さんであふれかえっていたが、
魅力ある商品はなかったように思う。

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チャンプのつまづき

ボクシングの元世界チャンピオン、徳山昌守が、
ガソリンスタンドでの車の出入りのトラブルで
相手とスタンドの店員を殴り、逮捕された。(産経朝日

車がぶつかりそうになり、徳山が急ブレーキをかけたところ
乗車していた子供が前のシートに顔をぶつけ、
それでかっとなってしまったと言う。

ネット上は早速「お祭り」になっているのだが、
どうにもこうにも解せないのだ。

ボクサーは、めったなことでは自分の拳を出さない。これは鉄則のはず。
しかもこれだけ情報化の進んだ社会では、
「気に入らない奴は陰で殴っとく」というわけにもいかない。

さらに徳山はスーパーフライ級のチャンピオンになっている。
自己を律することにおいては誰よりも長けているはずなのだ。

たとえ腹が立ったとしても、手を出せばどうなるかくらい、
分かっているはず。
選手を退いてはいるが、今後の指導者人生なり、
経営者活動なり、タレント活動をするなり、
いずれにせよ、ボクサーによる暴力沙汰は大きな障壁になることは間違いない。

事実、それを今回やってしまったわけだが…。

つんのめって子供がシートに顔をぶつけるなんて、よくあること。
そんなことで怒り狂うなんてどうかしている。
父親である自分は、モノホンのグーパンチを顔に受けていたのだし。

よほど腹に据えかねることをされたか、言われたのか。
あるいは、何かが蓄積していたのか。そう思うほうが自然ではないか。

世界チャンプになった男が、突如「街のチンピラ」化するとは思いにくいのだ。
真実はまだ分からないが…。

反省しても、この「素人に手を出した」事実はもう消せない。

ヤクザの世界に足を踏み入れてしまったといわれるチャンプもどこかにいたが
(その人物が徳山の店に来店した、という記事が、
徳山のブログに掲載されているのだが…)、
まっとうに商売に打ち込んで、転落しないことを祈りたい。

可愛い子供も、そばで見ているのだから。

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幻の駐車券

盛岡市の中心市街地の某商業施設に行く。
そこのテナントでしか買えない商品があるからだ。

日曜日…
そのお店に行くと、主人はおらず、
奥さんと思しきオバさんが店番。
日曜日は「店長」もいないし、
その品物も今日はないの、と。

あらあら…日曜日だし、
しょうがないか。世間は休みなんだもんね。

日曜日に買い物するのが当たり前、だと思っていた認識を改めようと、
思った…その時までは。

せっかくなので、とりあえず別の品物を買い求めた。
近くの有料駐車場に車を停めていたので、
サービス券をもらおうとしたら、
オバさん曰く「私じゃわからないの」。
えっ、日曜なんだし車で来るお客さんいるでしょうに…
「あそこの事務所の人に聞いてくださる?」。

で、レシートを持って事務所に行くと、
初老の(ちょっと口のクサい)オヤッさんが出てきた。

しかしそのオヤッさんも「オレ、わかんねーんだよな」。
駐車券に書かれた文字を読んでみせるのだが、
つまりそれは何もわかっていない証拠。
ほんとの「休日当番」なんだろう。

しょうがないのでビルの管理事務所まで行って、
守衛さんに話を聞こうと思ったのだが、
守衛さんは守衛さんでしかなく、駐車場のことまでは知らない、と。
その有料駐車場の係員に聞いてもらえませんか、と。

駐車券には思いっきり「店舗でサービス券をもらってください」と
書いてあるのに、サービス券どころか
何もわからない人ばかりだった。

有料駐車場に戻って係員に聞いたが、
答えはやっぱり「お店に話を聞いてもらわないと…」。
もうラチもあかないので、普通に駐車料金を払って、
クルマを出しました。

うーん、これが中心市街地なのかな、と。
自家用車で来店する前提の、郊外のお店では
まずこんな対応はありえない(まず、駐車場無料が普通だし)。
見事なたらいまわしで、腹を立てる人もいるだろうし。

これじゃ若いお客は来ないよなぁ…。

日曜日だからしょうがない、と思おうとしたけど、
もうそんな時代でもないでしょう。
郊外店は週末がかきいれどきなんだから。

こんなこと書くと、また"素敵"なコメントを頂戴するんだろう
(承認しないけど)。

こんなブログ書かなくてもいいような、
ほんとに素敵な対応をしてくれないと、
市街地からお客さん、いなくなっちゃいますよ。

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両雄並び立たず

TBS日曜夜の「日曜ゴールデンで何やってんだテレビ」、
TBSが、3月3日をもって打ち切りとした、と発表(Infoseek/サイゾー)。

毎週欠かさず見ていた。
その「最終回」とされた放送も見ていたし、
確か、次回予告的なものもあったと思う。

しかし4月に入っても放送はなく、
怪しいな、と思っていたら、この打ち切り告知である。

コスパも異常に悪かったはずである。
ビートたけしと石橋貴明をそろえ、
毎週、とんでもないミクロな数字の視聴率をたたき出していたのだ。
最後まで10%は超えることがなかった。

とにかく「両雄並び立たず」。
たけし・石橋がお互い牽制しあって終わった感がある。

傲慢・傲岸が魅力の石橋も、
お笑い界の巨人・世界のキタノの前では
委縮せざるを得ず、牙をしまってご機嫌伺いに終始。

たけしもたけしで相変わらずのシャイボーイ。
相手がいじり甲斐のある後輩なら、
それ相応にいじり倒すのだが、
さすがに相手が石橋ではいじり切れなかった。

お互いに遠慮しあった結果、
いじる対象を求め、関東の若手芸人を大量動員。

ちまちまとコントをやらせたり、
しょうもないゲームをやらせて(個人的には嫌いではなかったが)
お茶を濁した。

初回からまずかった。
たけしと石橋を車に乗せ、二人きりでトーク。
「最終回」まで牽制しあっていたのだから、
この初回は推して知るべし。

盛り上げようと、ニコ動的な突っ込みテロップを
番組中に流しまくったが、これが邪魔の極地。
2回目でお役御免と相成った。
これに象徴されるように、番組は迷走を続ける。

目玉企画は最後まで見つからず、
石橋のオーストラリアロケも風雨でおじゃん。
あげく、各事務所のマネージャーに相撲を取らせる始末。

「カースタントわんこそば」という、
お笑いファンですらあきれてものも言えないような
シュールな企画が事実上最後の企画だった。

幕を閉じますといわないまま、
番組は幕を閉じた。

唯一キラリと光った企画は、たけし&石橋の浅草探訪。
たけしが修行したストリップ劇場フランス座(現・東洋館)の
屋根裏部屋を訪問したり、内容は濃かった…が、
一般視聴者はディープすぎてついていけなかっただろう。

たけしも石橋も番組打ち切りはいくらでも経験しているだろうから、
ショックもないだろうが
ただただ徒労感だけが残ったのではないか。

低視聴率にあえぐTBSが耐え切れるはずもなかった。
まあ4月を耐えたとしても、7月に終わった可能性は濃厚であるが。

お笑い界にはまたひとつ、レジェンドが作られた。
記録にも記憶にも残らないレジェンドが…。

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布施明に見る「演歌フュージョン」

先日、森川由加里と高齢結婚をこなして話題になった布施明。
歌唱力に定評のあるシンガーである。

以前、廉価版のアルバムを買ったのだが、
全部、後年録りなおした曲ばかりで少しがっかりしたことがあった。
まあそれでも布施の歌唱力を堪能するに不満はなかったのだが。

今般の「ご成婚記念」に、やはり廉価版だったが
ベストアルバムを買い求めたところ、
今回は「当たり」。全曲オリジナル版であった。

布施がデビューしたのは60年代。
ということで、「恋」「霧の摩周湖」あたりは
かなりイントロも曲調もそれなりに時代めいている。

…というか、「演歌っぽい」。
今でいえば演歌のセンスなのだな。

当時の五木ひろしや森進一も、たしかこんな感じの曲を
歌っていたはずである。

思うに当時の歌謡曲市場は「ポップス」「演歌」に
明確に分かれていなかったはずだ。

欧米の音楽からもろに影響されているグループサウンズですら、
ムード歌謡との境目があいまいだったのだ。

それが、徐々に「演歌」「ポップス」に、それぞれ「進化」していった。
生き物が爬虫類や哺乳類に分化していったように。

布施はその後「これが青春だ」以降、「愛の園」「積木の部屋」「シクラメンのかほり」と、
演歌色を失っていく。

逆に五木や森は、演歌に「純化」していくのだ。
この演歌とポップスの分化は、のちの演歌の「退潮」を呼んでもいる。
そして勝ち組の「ポップス」でさえも…。

80年代の歌番組では、普通に演歌歌手が混じって
歌を歌っていた。「国民的ヒット曲」も、
演歌からも普通に出ていた。
いまや、ポップスからもヒット曲は出ないが…

別に、布施明に「演歌っぽい曲」を歌ってほしいわけではないが、
また以前のように「ボーダレス」化された
「演歌フュージョン」が歌われるようになると、
業界の活性化にもなっていいのかな、と思う。

ポップスから演歌に近づくのはいきなりは難しいと思うので、
演歌からポップスに歩み寄ってみたり、とか…。

ジェロとかAKBの岩佐未咲とか、まだまだクロスオーバーは生ぬるい。

65歳で布施明が再婚したように、
演歌とポップスももう一度よりを戻してみてほしい、と思うのである。

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瓦礫

東日本大震災被災地の瓦礫処理問題。
一時の騒動は鎮静化しているが、 処理はまだ終わってはいない。

大阪などが受け入れを表明しているものの、
「住民」が受け入れ出来ない、として住民訴訟を起こしている。

そして今もなお、岩手県知事のツイッターに、
執拗に「呪詛」の言葉を送り続ける受け入れ拒否派は後を絶たない。

いくら安全だと主張しても、おそらく聞く耳は持たないだろう。
彼らにとって、被災地の瓦礫はすべからく「汚れている」「穢れている」からだ。

そりゃ、こちらだって、本当に汚染されたものを送りたくはない。
日本中に放射線を拡散したくもない。

だから「安全だ」としたものだけを送る、と言っているのに、
そもそも「その測定が信用できない」という。

いずれ、いくら言葉を尽くしても聞いてくれない人間を、
無理に説き伏せることはないだろう。

率先して受け入れてくれた人々に感謝するほうが先だと思うのだ。
後ろ向きかもしれないが。

「呪詛」の言葉を東北に投げつけてくる連中に、
恨みつらみの言葉を投げ返すのはムダである。

『答えは30年後に出る』。
彼らがよく言う言い回しを、逆に投げかけるだけにしよう。

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