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2012年10月

道路工事

仕事で道路を走ることが多いが、
ここへ来て「道路工事」が各所で目立つ。

スイスイ進んでいると思えば、
赤い旗を振る作業服の男性に車を停められ、
片道通行に…。

どうしても今の時期になりやすいのは分かる。
夏が過ぎて道路の傷みが発生するので、
一斉に直さねばならない。

またすぐにやらないと、
あっという間に冬になってしまい、
とくに寒冷地では雪が邪魔になるので、
雪が降り始める前に工事をやってしまわないといけない、
というのもある。

わかるんだけどねぇ…
長く走らされる身としては、
こうもあちこちで停められると、
イライラするんだよ。

安全には代えられない、
かもしれないんだけど、ねぇ…。

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Nanak

盛岡市肴町に開店した商業施設「Nanak(ななっく)」の
開店に立ち会ってきた。

もともとは青森のデパート「中三(なかさん)」の盛岡店だったが、
東日本大震災の影響と思われるガス爆発事故を起こし、
中三本店の不振(のちに民事再生)もあり、閉店した店である。

本来は「川徳」本店だった建物で、肴町商店街の核店舗だった。
川徳退店後、核施設の不足を危惧した商店街が、
青森の中三を誘致、居抜きで入店した店だった。

中心市街地が経済の地盤沈下にあえぐ時代…
そんな中での閉鎖状態が続いたが、
企業再生を手がける東京の企業が出資、再開店にこぎつけた。
周辺住民や商店主は「待ちに待った」開店であろう。

「Nanak」は、このあたりの地区名「河南」(Kanan)の逆さ読みだそうだが、
「Nakasan」から「sa」を抜いて並べ替えた名称、とも読める。
まあ、そこまで深い意味はないだろうが…。

きょうは「プレオープン」であり、
1階、2階、4階のみが開店。
その他のフロアは冬以降、順次開店していくという。

ガス爆発事故は地下で発生したということで、
まだ復旧していないのだろう、地下も立ち入りできない状態であった。

セレモニーが行われるなか、
店舗前は景品の「ガーベラ」目当ての爺さん婆さんで大行列。
開店は昼12時だったが、結局店に入れたのは10分ほど後だった。

Nanak1

行列に並ばされたが、店に入れる頃には10分も経過しており、
行列を横目に、並ばずとも入店できるようになっていた
(なんじゃそりゃ)。

中三時代はアパレルとお土産売り場だった1階は、
ほぼ全面が食品フロアに衣替え。
バスセンター側は通販サイト「まがりや.net」の
アンテナショップとなっている。
ただし2週間の期間限定。この後はどうなるんだろう。

肉、魚、野菜、いずれも地元系の企業がテナント。
ただ、この日は客入りが激しすぎて、レジを通すにも行列が出来ていて、
時間もなかったので生鮮品の買い物はあきらめた。

宮古の海産物加工業者が、佃煮や乾物を売るコーナーがあり、
そこは行列もなかったので、セール品の佃煮セットを買い求めた。

肴町商店街の「JOYポイントカード」は使用可能。
中三時代も使えたので、当然ではあるのだが…。

そのほか、青森や秋田、宮城も含め、地元の加工食品を販売するエリアや、
菓子、総菜のテナントもあり、ここに来れば、その日の食卓が豊かになりそう。

1階中心部は休憩用のスペースとなっており、
買い物客がくつろげる場所となっている。
野菜テナント「戸塚商店」が、盛岡駅ビル「フェザン」でも展開している
ジューススタンドが設けられている。

とにかく爺さんと婆さんとテレビカメラばかりでうんざりし、2階へ。
こちらはアウトレットのアパレルフロアとなっている。
運営元はよくわからず。

家族向けのラインナップで、
ヤング層は意識していないように感じられた。
まあこのエリアに来る若者はあまりいないだろうけど…

この店も期間限定のようであるが、だからだろうか、
一部の柱が、中三時代の薄汚れた壁面が残されていた。
いただけない…。

Nanak2

3階はパーティションで遮られていて、入ることは出来ず。
中は明るかったが、「今冬オープン」という張り紙一枚があるだけだった。

4階は、文房具店「平金商店」の旗艦店「パステル館」と、
平金肴町本社1階に入居していた、
「Simple Style」(アイリスオーヤマのインテリアショップ)が
まるごとお引っ越し。こちらも初日で大賑わいであった。

店舗移転という大革新をやってのけたはずの
平金商店パステル館のWEBサイトは、まるで更新する気配もないが…。

いずれ、ワンフロアなので、以前の店舗のように
階段を上ったり降りたりしなくていいし、
移転前よりもゆったりしていて、文房具を選ぶ楽しみは増えた感じがする。

さらに市の育児施設「にこっこ」は、
もともとこの建物にあって、中三閉店後移転していたのだが、
このたび出戻り。

時間もなかったので、2階、4階はさらっと見ただけで、
さっさと出てきてしまったが、後の楽しみにしよう。

まあ、この地区でデパート級施設が復活したことは
喜ばしいことだろう。
あとは他フロアも含めた本格オープンを待つばかり。
雑貨や書籍売り場などがお目見えすることになると思う。

気になるのは、この中三の建物の角、
マクドナルドがあった場所に入居していた鮮魚店や、
先述の平金商店、Simple Styleが、まるまる
この「ななっく」に移転したことで、
それぞれの旧店舗が空き家になってしまったこと。

Nanak3

地元パワーを集結し開店する核店舗が、
シャッター商店街化に「貢献」する形になったわけで、
これにどうケリをつけるのかも、
考えていくべきだろうと思う。

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データベース

職場で、各部署の取引先データベースを全部統合しよう、という
プロジェクトが進んでいるんだそうで、
ITに詳しい、と人が言う者(笑)を集めた
打ち合わせに参加させられた。

業者に仮見積もりも取っていて、
後戻りはできないプロジェクトのようであるが…

担当者が言うには、社内でデータベースが
バラバラの方式(たいがいはExcel)でバラバラに使われていて、
他部署の人間が使えず業務が進まないので、
統合したいんだそうだ。

これまでも「データベース統合」をしては、
失敗している例を見てきただけに、
「どうぞ、勝手におやんなさい」という気分である。

まず、統合したデータベースは当然ながら肥大化する。
なんでもかんでも、企業名をキーにして統合しているわけだから当たり前だが、
結局は小回りのきかない代物になる。

データの新規入力、変更入力をするにも、
どうしたって必須入力の項目数は増える。

また、あれもこれも、と機能を増やすもんだから、
操作が複雑になる。

そうすると入力するのが「面倒」になってきて、
入力をさぼりはじめるのだ。

さらに、「ベテラン社員」が、データベースのフォームにケチをつけはじめ、
「改良」させようとする。

やれ、〇なのか、▲なのか、☆なのか…と、
入力する欄をあれこれ増やそうとするんだな。
自分はそうした方が使いやすい、と思うからなんだろうが。
で、提案しておいて「欄が多くてめんどくせーな」と、入力しなくなる。

それと「セキュリティ」の問題もある。
社内でバラバラになっているほうがまだ安全だが、
統合してしまえば、その「大データベース」を「盗む」だけで、
我が社の取引先は丸裸。
おっかねー。

統合するメリットはそりゃ「部署横断的に使える」なんだろうが、
デメリットのほうが多いと思う。
やる気になってる担当者だって、仕事が一つ増えるだけなのに
よくがんばるなぁ、と他人事として見ている。

…ってなことを、打ち合わせの場で言えるはずもなく、
「どうせ使われなくなるから、見てろよ」、と、
ごく狭い範囲に言って回るのが関の山であった。

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Windows8

新しもの好きなもんで、
Windows8のアップグレードパッケージを予約してあった。
きょう、量販店に取りに行って、
さきほどアップグレードを済ませたところ。
正直、まだピンとは来ていない。

WindowsVistaからWindows7にアップグレードしたときには
かなりパニクった記憶があるが
Windows8は1時間弱でさっくり終わった。

メモリを12ギガも積んでいるのだが、
Windows7の32ビット版では3ギガしか動いてくれず、
今回を機に64ビット版にアップグレードできないかな、と思ったが、
残念ながら32ビットから64ビットへの単純なアップグレードは不可で、
クリーンインストールするしかないようだ。
Windows8でも3ギガしか動いていないorz。

Windows7のときもクリーンインストールはやっているので、
やろうと思えばやれるけど、めんどくさいので後回し後回し。

OSの感想だが、
まあ基本的にはWindows7と変わらない…のだが、
噂の「モダンデザイン」(最初は「メトロ」と呼んでいたが、
商標権の関係で使えなかったらしい)が特徴的。

まあ有り体に言えば「新・スタートメニュー」が、
全画面表示になった、と考えればいいのだが…。
Win8

このモダンデザインメニューから、
モダンデザイン専用のアプリを呼び出すことができる、
というのが売りなのだが、
全画面表示で、操作もタブレット端末がほぼ必須な感じ。
マウスやタッチパッドを使うデスクトップやノート端末では
満足な操作感は得られない。

たとえばモダン用IE10はお気に入りを呼び出すことすらできない。
パソコン歴15年以上なので、パソコン操作のたいがいのことは
思いつくはずなのだが、どうやってもできなかった。
なんか特殊な操作があるのか?昔のファミコンゲームじゃあるまいし。

モダン用アプリの「ニュース」も、
横に横にスクロールして見ていく形で、
これもタブレット端末での操作が基本。
マウスではやりにくいだけである。

今まで通りの「デスクトップ」を呼び出して、
マルチウィンドウで動かす操作に戻ってしまう。
これじゃWindows7と、あんまり変わりませんやね。笑

あ、ちょっと変わったのは、デスクトップやウィンドウ周りのデフォルトフォントが
「Meiryo UI」(メイリオUI)に変わった、というところかな。
ちょっと調子が狂う。
まあメイリオに変えれば元通りにはなるんだけど、
しばらくこれでやって慣れてみますかね。

Acer製のタブレット端末も持っているので、
今度はこれに新しくWindows8を買ってきて、
インストールして試してみるつもり。
やっぱり、タブレットでいじってみたいやね。

それと、少し前に買ったWin7のノートは
1200円でアップグレードできるので、
もちろんそれもWin8にしちゃう。

それにしても、新OSというのに、ほとん騒ぎになりませんね。
iPadの新製品のほうが騒がれてるくらいだし。

もはやマイクロソフトのOSが、
Windows95のときのようなフィーバーになることはないだろう。
それくらい「コモディティ化」したということか、
それともマイクロソフトが飽きられたのか…。

アメリカではとうとうタブレット端末をMS自らリリースしてしまった。
アップルのケツをおいかける立場になったんだなぁ(しみじみ)。
日本では発売未定。
マイクロソフトが「日本を見捨てた」と見る人と、
「日本市場に遠慮した」と見る人に分かれていて興味深い。

Twitterの画面でよく出てくる、
へにゃへにゃな(そして変にゴシックの混じる)
日本語フォントを見る限り、
とっくにMSは日本を捨ててます。笑
Azumatwitter

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老いらくの恋のゆくえ

常設映画館の発祥の地、東京・浅草で
最後まで運営されていた映画館が21日、営業を終了した。

「映画の灯火、浅草から消える…」という記事が、
映画館閉館を惜しむ映画ファンの声とともに、
各紙で紹介されている。(東京新聞

最新映画よりもかつての「名画」を上映する、
いわゆる「名画座」として、親しまれていたようである。

しかしこの浅草の映画館にはもう一つの「顔」があった。
「ハッテン場」…。
無礼な表現を使うが、要するに「ホモのたまり場」だったのだ。

自分を含め、地方在住者は「まさか」と思うだろう。
なんなら調べてみたらいい。

たとえば、20日まで閉館を惜しんで足繁く通ったという
漫画家・バトルロイヤル風間のブログでは、
相当に生々しい記述が出てくる。

浅草の映画館に集まるのは「高齢の同性愛者」が中心。
座席には座らず、壁側の通路に立つ。映画が始まっても立っている。
そして、目当ての男を品定めし、
客席に座り、愛欲にふけるのだという。

性的嗜好をとやかく言いたくはないが、
中には、目に余る行為をしていた者も少なくなかったようで、
普通の客(つまりノンケ)に声をかける同性愛者や、
果ては一般客の横でオーラルプレイに興じる者もいたそうである。

まあ、ご通家には「いつもの光景」ではあったようで、
そういう客をよけながら、名画を楽しむ…というのが、
「作法」だったそうだ。
ただ、それを知らない客はその光景に驚愕するだろう。

また、浅草新劇場の2階席は、同性愛客の指定席だったそうで、
女装をした老人が集まるのが「普通」で、
とても一般客が行くような場所ではなかったそうである。

映画館側もこの状況を「黙認」していたようだ。
とんでもない…と思うが、それが「常識」だったのだ。

「ハッテン場」というものは他にもいろいろあるようだが、
高齢者ではうかつな場所には行けない。
ネットで情報が得られるわけでもない。

すると、比較的安全で、かつ高齢者が集まるであろう
「名画座」を「お約束の場所」にして集まるのは、
必然だったのかもしれない。

「浅草は映画の街、喜劇の街」…
それを期待して、何も知らずに入った客の中には、
喜劇どころか「悲劇」を迎えた客もいただろう。

目に余る行動をする同性愛者だけでなく、
喫煙する年寄りの客もごく一部にはいたという。
健康増進法などという法律ができる前から、
劇場や映画館が禁煙、というのは常識のはずだが、
その常識も通用しなかったのが、浅草なのだ。

浅草は単なる「喜劇の街」「モダンの街」「ロマンの街」ではない。

映画館には、マナーという言葉も知らない年寄りが集まり、
馬券売り場には暇をもてあました労務者がたむろする。

そういう「猥雑さ」をはらんだ街でもあるのだ。
歌舞伎町や六本木のほうがまだ秩序があるんじゃないかというくらい。
「都会」の良さ、なのかもしれないが…。

浅草の映画館がなくなるということは、
年老いた同性愛者が集まる場がなくなるということ。

「ハッテン場」が多いと言われる「上野」、
とくに成人映画館などに流れるのだろう
(なお上野の一般映画館は浅草より早く消滅している(上野経済新聞))。

上野は浅草同様、若者や外国人が少なく、治安もよいから、
年寄りには居心地のいい街でもある。

老いらくの恋は、どこへ行く。

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復興予算

いま話題の復興予算。
「沖縄の国道復旧にまで使われている」と
よく指摘されるが、
「沖縄タイムス」が東京支社の記者署名で記事にしている。

「いや、そんなこと言われても…」という、
半ば「困惑」のような論調である。

「復興予算と言うけど、日本全国で使えるという名目のはずで、
沖縄は被災地からいちばん遠いからダメ、というのはおかしい」
という主張が行間から読み取れる。

「沖縄は、オスプレイではあんなに声を上げているのに、
もらえるときは黙るんだな」と、
直言している人も見かけたが、
まあそりゃもらえるんなら、
多少の後ろめたさは押し殺すのが人情というもの。

だから、「全国で使えるって言ったのに、
沖縄だからダメってのはひどい」と、
おっしゃる気持ちはわかる。

ただ、沖縄は被災地から遠すぎて、
「復興予算の異常な使い道」としては、
「格好のシンボル」でありすぎる。

「国頭村(くにがみそん)の法面落石防止」が
大事なのは分かる。
311みたいな地震が来たら崩れそうだから、
なんとか工事をさせてください…。

重要性、緊急性はあるのだろう。
ただ、これに「復興予算」を投じることへの理解を得るのは難しい。

これが「一般予算」だったら、文句を言う人はぐっと減る。

そもそも「復興予算」の「復興」とは誰の復興なのか。
さすがに「沖縄の復興」ではないだろう。
「日本の復興」ではあるかもしれないが。

別に沖縄に限った話じゃない。
東京の役所の補強工事が「復興」なのか。
刑務所の職業訓練が「復興」なのか。

前回も申し上げたが、「復興」に関係するのなら、
多少の「流用」を認める柔軟性はあってもよかろう。
その「復興」は、「被災地」「東北地方」の復興でなくとも、
「日本の復興」なら、認められてもよいとは思う。

文化発信的な事業に流用することも叩かれているが、
風評被害に悩む産業に寄与する事業なら、
「復興予算」という名目でもいいのではないか。
それこそ「被災者へのバラマキのほうがまだマシだ」
みたいな論調のほうがおかしい。

ただ、沖縄の道路の補修が「日本の復興」かどうかは、
かなり疑問が残るところである。
間接的に、かなり間接的に考えれば「日本の復興」ではありますよ。

でも、それで利益を得る人はかなり偏っている。
「日本全国で使えるって言ったじゃん」という抗弁は理解されにくい。

間接的な事業が多すぎる、という批判を受けないように、
「復興予算」から「一般予算」に、お金を上手に戻すのも、
政治家なり役人なりの仕事だろう。

逆に「東北ばかりジャブジャブ金もらいやがって」
と言われないように調整するバランス感覚も、
きっとお持ちのことと思う。

後ろめたさを押し殺しながら「復興予算」を投じてもらって
道路を直すのは、税金を払う方も、直してもらう方も、
そして被災地の側から見ても、いささか気持ちの悪さが残る。

誰もが納得する予算を大手を振って使い、
崩れそうだ、という国頭村の道路が直ることを、
切に願う次第である。

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愛される落語家

以前も紹介した落語家「立川キウイ」。
立川談志が最後に認めた真打である。

「万年前座」のキャッチフレーズ通りの風貌と行動から、
2chなどネットでさんざん叩かれる。

それにいちいちブログや兄弟子のサイトの掲示板で、
「アンチさん」と呼んで、折に触れてその行動を逆批判し続ける。

ほっときゃいいのに、いちいちお相手するから、ますますからかわれる。
「45歳のいじめられっ子」だ。

Twitterでは、自分の名前がツイートされているのを見つけると、
かたっぱしからリツイートし、リプライを飛ばして、うっとうしがられる。

そのくせ、談志ファンからシャレで「弟子にしてください」とツイートされて、
シャレで返せばいいのに、「君とは縁を切る」とばかりにブロックして、
ブログを使ってお説教してみせたりする。

なんとも、目が離せない。

彼が「愛されている」のが如実に分かるのは
Wikipedia」だ。

「人物」「評価」の欄が、「私感」まみれでケッサクなのである。
(経歴のところも若干怪しいところはあるが)

「自分の都合のいいように事実を歪曲する」
「配慮に欠けたブログ」
「疑問が持たれる」…。

Wikipediaは「私感」を入れてはいけないはずなのに。

そして出色は「ウィキペディアへの批判」。
要するに、このWikiでのページにあることないこと書かれて、
キウイが反論していること自体を、Wikiに書かれているのだ。
キウイの言う「アンチさん」の執念の「たまもの」だろう。

ノート」も面白い。
「天河水」なる人物の粘着質ぶりは見もの。

まあ、このWikiに関しては、
記述が私感まみれでダラダラ、グダグダなので、
全部読む気は起こらない。それこそ「うっとうしい」。

むしろ、そのダラダラグダグダ自体が、
「立川キウイがいかに愛されているか」を示しているのだ。
目が離せない。アンチさんもファンさんも。

で、なんとかしてキウイの落語を聴いてみたいのだが、
ついぞ、聴いたことはない。

古典落語をミックスした演目を創作したり、
高座で激辛ラーメンを食べながら落語を演じるなど、
革新的な演出を施しているようで、なかなか面白そうなんだが…

それを聴いて、自分も「アンチさん」になるかもしれないのが、
ちょっぴり怖いけれど。

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儲けの極意、教えます(?)

ネットで見つけた「クビでも年収1億円」という書籍を書いた人のWEBサイト。
いかにもさわやかな若い男性が、
自信満々にほほえんでいる。

WEBは書籍と同じピンク色で、
きっちり今風にデザインされている。

「今すぐ無料でGETする!」と書かれた、
目立つマゼンタ色(要するに、どピンク色)のバナーが、
私をクリックしてください、と鎮座している。

要するに書籍の提要が読めるらしい。
でも「真の極意は、この本を買ってネ」ということなんだろう。

何を言いたいか。

私はこのWEBを見て、
「なぜこの本を買いたくないか」を
申し上げたくなった、ということである。

まあ世の中の「成功本」の99%、
いや限りなく100%そうだと思うが、
その本を読んで成功できるなら、みんなやる、ということ。

はっきり言うけど、この本を読んでも、
1億円どころか、100万円すらもうかりませんよ。

確かに「やらない奴より、やった奴のほうが勝ち」ではある。
この本を読まない奴と、読んだ奴と、どっちにチャンスがあるか、
と反論されると思う。

でもね、成功なんてモノは、
生まれつきの才能と環境と、天賦の運。
本を読んでまねたくらいで、得られるものじゃない。

そして、「1億円稼ぐ人」の陰には、
何千人もの「年収300万円」やら「ニート君」やらが、いる。
それで世の中成り立つのだ。

日本人全員が年収1億円になったらどうする。
…って、そんなわけないでしょ。

「クビでも年収1億円」なのはこの著者に舞い降りた
「レアケース」であって、
実際そんなうまい話は、ないに等しい。

動かなきゃ何も始まらないよ、
という人は、おやりなさい。
でも、まともな就職活動をしたほうがいいですよ。

要するにこの類の本は、
著者や出版社が儲かるだけなのだ。

ね、「儲けの極意」でしょ?

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わがまま

東京の近くには起きたくない、と
原子力発電所や処理施設を東北に置き、
いざ事故が起これば
「瓦礫は放射性物質だから、東北に積み上げておけ」
「東北のものは怖いから食べないようにしよう」。

人間は勝手でわがままだなぁ。

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逆ショールーミング

ネット通販が盛んになり、起こっている現象が
「ショールーミング」。

リアル店舗(実際に入れるお店)で、商品を品定めするが、
そこでは買わずに、自宅に帰ってから
もっと安く買える「ネット通販」で買ってしまうことを指す。

ヒドいのになると、店の中で商品だけ見て、
ケータイやスマホをいじってネット通販で買ってしまう「猛者」もいるという。

まさに実店舗が単なる「ショールーム」でしかない、という状態だ。

Amazonの場合、どれだけ安くても送料ゼロ。
楽天市場などでも、ある程度の値がさがある商品なら送料はゼロとなり、
また、たいがいの場合(!)実店舗よりネット通販の方が安いので、
「ショールーミング」が起こってしまうのである。
かくいう自分もいままで何度それをやったか…。

安さだけを追い求めれば、ショールーミングは
(店には悪いけれど)消費者として走ってしまう行動だろう。

しかしよくない面もあって、
返品がやりにくい、いざというときの保証が弱い、
といった、「買った相手が身近でない」というリスクである。
これはケータイが登場する以前の通信販売の時代と、
変わらないリスクであろう。

パソコンやケータイという「文明の利器」があるとしても、
物理的な距離はどうしようもないのである。

先日、Amazonで書籍を調べていた。
最近は「なか見検索」と言って、
書籍の中身がある程度パソコンで確認できるのである。

おもしろそうだ、買ってみよう。
そう思ったのだが、通販の弱点は
「日にちがかかる」ことなのだ。
その場で「ポチッとな」しても、Amazonの場合、
2日くらい待たないといけない。

これが電化製品とか高額商品になると、
ある程度待ってあげられるのだが、
「本」となると、すぐ読みたいのに…と思ってしまう。

で、パソコンの電源を落として、
そのまま近所の大型書店(最近は小さな本屋がみんなつぶれてしまったので…)
に行って、その本を買ってきてしまった。

まさに「逆ショールーミング」である。

Amazonは本1冊、電池1個でも送料無料なのは
ありがたいのだが、どうしたって日数がある。

そして、本1冊とか電池1個でも、
結構な大きさの箱で届けられる。

ロジスティック的なことを考えれば、
箱の種類を増やすほうがよほどコストになるので、
Amazonでは小物でも、そこそこ大きな箱に入れて配送する。

そうすると、ゴミが増えるんですよねぇ。
段ボール箱ってかさばるし、
月に1回しか回収してくれないもんで…。

というわけで、
Amazonで立ち読みして、実際の本屋で買ってしまったのである。

本屋で立ち読みして、あれもこれも買うと重いから
Amazonで買っちゃおう、という経験をした方もいると思うが、
逆パターンもあるのだ。

何を言いたいかと言うと、
ショールーミング対策。

ネット通販は「安い」かもしれないが、
デメリットもある。
実店舗は、そこを突くといいんじゃないか。

家電店であれば「買った店で面倒を見てくれる」。
書店なら「待たされなくていい」「ゴミが出ません」。

露骨に「アマゾンや楽天なんかで買うと
かえって面倒ですよ」などとは言いにくいので、
さりげなく言わないといけないとは思うが…。

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脱原発デモの目的

大阪で、脱原発デモに参加していた男性が酔っぱらって
警察官につかみかかって公務執行妨害と傷害で逮捕された。(共同

脱原発・反原発デモに「お祭り感」を感じるのは、私だけだろうか。

高邁な思想で行動を起こす、というより、
集まって何かをしたいだけ、に見えるのだ。

デモによく使われる楽器に「ジャンベ」がある。

ジェンベとも言うが、アフリカの楽器である。
大きくてよく響く音がするし、
西欧の楽器のような「近代感」がないので、
「ロハス系」の人が好みそうな楽器なのだ。

自然大好き、科学嫌い、経済主義大嫌い…
自然に帰ろう、アフリカに帰ろう…ゴダイゴか。(笑)

ジャンベだけでなく「ベリーダンス」までしているデモもあるらしい。
これじゃ、20代の若者が集う「イケてる酒場」と変わりゃしない。
そりゃ酔っ払いも来るわな。

事件を起こしたのは48歳のオッサンらしいが、
鬱屈するのは20代でも40代でも同じこと。

反原発の人々を見ていると、
中国のビンボーで甘やかされて育った若者が、
怒りをぶつけるために反日デモをやっているのと、
なんだか次元は変わらない気がする。

鬱屈を発散したい。
「世間」に対して怒りたいのだが、
それでは締まりがないので、
「日本」を敵にしたり、「原子力発電」「経済界」を敵にする。

要するに「動機」なんだな。

経済が行き詰まる日本。
バブル時代のような高揚感がなく、先も見えない。
そこで鬱屈したモノを発散したい。
「原発」がダシに使われる。

デモを主導する人たちは、ある程度の思想を持って、
デモを企画し、実行しているのだが、
集まってくる人たちは、経済と原発を天秤にかけて考えたりせずに、
ただなんとなく「原発怖そうだから、反対しとけばいいんじゃね?」と、
「ゲンパツ、ハンタイ!」の声を上げる。

主導者たちにとっては、頭数がそろえば格好はつくので、
動機が不純でも意に介さない。
みんな脱原発フレンド、仲間でいいジャン!みたいな。

60~70年代の学生運動や安保闘争も、
結局は都市部の若者のエネルギー発散だった、
なんて話も聞いたことがある。

都会の若者達は、時間も暇も、お金もある。
その時間、暇、お金を使って、そして時には電気も使って、
デモにうつつを抜かすのだ。

福島では、住民たちが苦しみながらも、
明日に向かって頑張り続けているというのに。

彼らにとっては、原発事故の起こった場所は
「福島」でも「ふくしま」でもなく、
記号化された「フクシマ」「Fukushima」にすぎない。
叫び、踊り、集うためのキーワードなのだから。

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新作VS古典

BSイレブン「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」。 10月2日は、三遊亭円丈と夢月亭清麿が登場した。

円丈といえば最近こそ古典に回帰しているが、一時は「古典落語は死んだ」と大見得を切ってみせたほど、新作にこだわってきた落語家。清麿と80年代に「実験落語」という前衛的活動を繰り広げていた。 この両者はいわば「新作の旗手」である。

この日の番組でも、二人は新作を披露した。 清麿は「東急駅長会議」、円丈は(柳家小ゑん原作の)「新・ぐつぐつ」。

「東急駅長会議」は、(電車の)東急の駅長が全員集まって会議を行うという設定。 渋谷駅長は議長も務め大いばりする中、 学芸大学駅長、都立大学駅長は「もう大学なんかないのに」と矛盾した駅名に恨み節。多摩川駅長は「昔は多摩川園駅だった」と昔話。 渋谷駅長と同期の祐天寺駅長は、急行が止まらない悲哀を語る。そんな中、10月9日、東急の日だから、1日だけ「急行停車駅」と「急行通過駅」を入れ替えよう、という動議が。 通過駅長の方が頭数が多いので多数決はすんなり通る。

場面は変わって、その10月9日。 老夫婦が神奈川方面から、菩提寺のある祐天寺駅へ向かうため、「逆・急行電車」に乗る。 日吉駅も菊名駅も、ただのド田舎なのに急行停車駅に 祭り上げられただけじゃありませんか、とおばあさん。「成り上がり駅」をすんなり飛ばして電車が疾走するようすに、 「ウンウン」しか言わないおじいさんは徐々に興奮していく。

そして電車はとうとう、普段飛ばされるはずの祐天寺駅へ。 おじいさんの興奮が最高潮に達したとたん、電車は止まったが、 そのおじいさんも止まってしまった…というひどいオチである。

新作の中でも、かなりぶっとんだ荒唐無稽な設定である。 そもそも駅長全員がそろう会議なんてあるはずもないし、 急行停車駅を総入れ替えなんてあり得ない。

そのあり得ない世界を実現するのが、「落語」なのだろう。

円丈演じる「新ぐつぐつ」はさらに荒唐無稽である。 鍋の中でぐつぐつ煮られるおでんのタネたちが、 下町の井戸端会議のごとく、話し続けるというお話。 4日間、主人から見放されたまま煮続けられる「ちくわ」がいわば「ご隠居」。 ジャガイモの下敷きになり、煮続けられてしまったんだ、と言う。 新入りの「糸こんにゃく」を「腰がないヤツだ」とからかい、ほかのタネとも口げんかするが、腹の破れた「きんちゃく」と淡い恋に落ちる。 しかし主人の気まぐれで、きんちゃくはとうとうすくい上げられていく。 最後にはちくわも主人に見つかり、外界へと旅立っていくのだった。

ストーリーの切れ目ごとに、「ぐっつ! ぐっつぐっつ!」と振り付きで、 おどけた口調の「ブリッジ」が挿入される。 これが笑いを生み、かつテンポを生む。

オチは、ちくわが食べられて「バック! バックバック!」となる。 なんとも設定は幼稚だが、食べられずに残る「ちくわ」の口調には哀愁が漂う。 夢破れた中年~初老の男の「ペーソス」を感じさせるのだ。

「東急駅長会議」「新ぐつぐつ」、ともに「荒唐無稽」な噺である。 しかし、羽織と着物を着た人物が、座布団の上で、 上下を切りながら話しているのだから、これは立派な「落語」なのである。

「落語」=「古い話」「難しい話」というイメージは根強い。 生活が完全に近代化された現代では、その様相はさらに強まる。

いわゆる古典落語は、遅くとも明治時代までに作られたものを指すという。 近世とされる明治時代といえども、江戸時代から続く生活様式には さほど違いはなかったものと考えられる。

「長屋・ご隠居・長火鉢」の古典落語の世界が、 現代人から徐々に乖離しつつあるのは誰も否定できまい。 江戸時代にタイムスリップする手段だった「時代劇」の退潮も著しい。

三遊亭時松という落語家が、定時制高校の生徒の前で「時そば」をやったが リアクションがなくてまいった、とブログに記している。 定時制だから、少し年かさの行った人たちのはずだが、 それでもそうなのだ。

「時そば」のオチが理解されていなかったという。
大体にして、金額が「16文」であり、 時間の数え方が「九つ」。「時そば」のオチの重要なファクターなのだが、 その概念が理解されないようでは、面白くなかろう。

「現代人だって、江戸の生活様式くらい知っている」という「大前提」は、もはや「幻想」になりつつあることを、落語家は知っておくべきなのかもしれない。

よく言われることだが、「古典といわれる噺も、昔はみんな新作だった」のだ。 作られた当時は、当時の最先端の流行、風俗に基づいたはずだったのだ。

それが今では、「日本昔ばなし」になってしまう。

落語のジャンルで一大勢力である「廓噺」も、 いまでは「犯罪行為」が前提のストーリーになってしまう。 「お見立て」も「五人廻し」も「居残り左平次」も。

「芝浜」はアル中の話で、「らくだ」は威力業務妨害。「たがや」は殺人で、「柳田格之進」は売春と銃刀法違反である(笑)。

とにかく「古典落語」は、「面白い話」であるはずが、聴く前から「古い話」「昔話」と片付けられる「ピンチ」にあるのだ。

いや、そう毛嫌いしないでさぁ、聞けば面白いから…といくら力説したって、 先入観をもたれてしまったらこれはどうしようもない。

柳家花緑は、落語家のシンボルである「和服に座布団」をやめ、普通の洋服を着て、椅子に座って現代設定の落語を演じる試みも行っている。

眉をひそめる向きも多いだろうが、落語が死に絶える危機を前に、 型を守らんとすることばかりが正しいのか? それはかえって座して死を待つことにならないか?

いまはまだ、落語もある程度、国に保護してもらっているが、橋下徹のように「古臭い古典芸能を守ることは無駄である」と切って捨てる為政者も出てきている。

だったら落語など死に絶えればいい、漫才やコント、リアクション芸(爆!)が残ればいい、 と言う人も、いるかもしれない。本職落語家でさえ、「落語のアイデンティティを否定するような落語をやらされるのなら、もはや落語は封印しよう」…そう言うかもしれない。

いや、それはあまりにもったいない。

落語は日本人の叡智が生んだ最高の芸術ではないか。違いますか?

一人しゃべりで近いのは、アメリカのスタンダップコメディあたりだろうが、 あれと落語をゴッチャにすべきか? 違うだろう。 落語は落語なのだ。

その落語を守るためには、古典ばかりをありがたがることが、本当に正しいのか。「談志の芝浜は最高だった。昭和の終わり頃がよかった」「志ん朝の文七元結、しかも三越劇場でやったときのが一番だ」…あと10年経っても、それを言い続けるのか。

古典を一斉にやめて新作に移行すべし、などと言うのではない。 古典には捨てがたい魅力がある。 数々の演者が磨きに磨いてきた「蓄積」がある。 ただ、それは「ビギナー」には理解されにくくなっている、というだけのことだ。

「噺の話」「寅おやじの酒々雑多記」「HOME★9」「藪井竹庵」「はじめのブログ」… さまざまな落語会を訪れたり、過去の名演落語のうんちくを傾ける、 落語通ブログの数々である。いったいいつになれば我々浅学の徒は、落語をこの人たちのように楽しむことができるのか、 と暗澹たる気持ちになるが…、もう無理だろう。

とくに若い世代には、こういった往年の落語ファン達が堪能してきた「古典落語の世界」が、 「理解不能な世界」になっていくことは容易に想像できる段階にある。

演者、ファンともに、古典至上主義を抱くなら、それは捨て去るべきときに来ていると思う。 死に絶えんとしている江戸文化を前提としている古典落語は、若い世代、次の世代には理解してもらえないからだ。

今はまだ、理解できる層が存在しているから、継承していくことも大事だ。しかし古いものだけに固執するのは危険だ。 新しいものを生み出していかない限り、落語は必ず死に絶える。

立川談志は、落語はかくあるべき、という格言をいくつか遺したが、その一つに「落語は"江戸の風"が吹かなければならない」というものもあった。しかしそれは、江戸の風の匂いが分かる人がいてこそのものである。

重複するが古典を否定するわけではない。 しかし新作を否定するのもいけない。

新作落語を貶める落語ファン、落語マニアこそ、静かにフェードアウトしてもらうべきだろう。 自然とそうなるような気もしているけれど。

「東急駅長会議」にしろ「新・ぐつぐつ」にしろ、「あんなの落語じゃねー、ただの漫談だ」と片付けるのは簡単だ。しかしそのうちに、「牛ほめ」や「道灌」、「佐々木政談」が、「そんな文化、日本にあったのか?」と言われるようになるかもしれないのだ。

そしていまの新作が、そのうち古典になって、今の古典のようにありがたがられるかもしれないのだし。

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スタッドレスタイヤ

スタッドレスタイヤのCMが、9月末から放映開始している。
北海道では9月1日から始まったらしいが…。

ガッツリ凍った道路の上を走る車が、
スタッドレスタイヤのおかげでビシッと止まる、そういう趣旨なのだが、
正直言って、いまから冬道の運転を想像させ、ウンザリさせられている。
スタッドレスったって、すべるときは滑るからね…。

それにしても各メーカーのCMは豪華である。

ダンロップは天下の二枚目・福山雅治をCMに起用し、
「東北の冬に」とアピールしている。

いっぽう、横浜ゴムは天下のYAZAWA、矢沢永吉を起用。
北のカーキチどもの琴線にビンビンとビートを効かせまくっている。

ブリジストンは通年ではあるがTOKIOの長瀬智也をキャラクターにしており、
昨年からは石原さとみと共演している。

先述のダンロップはCMとは別に、
千原ジュニアら吉本タレントを起用したキャンペーンも展開している。

さまざまな販促攻勢が行われているのだが、
そもそもスタッドレスタイヤって、
そんな広告費を投下して見合うほどに、売れるものなのだろうか。

確かに北海道や東北、北陸等では必須の物であるが、
大消費圏たる首都圏ではあまり必要ないだろうし、
もとから車を持っていない人も多い。

中部圏から西では、雪は降れども、すぐ溶けてしまうだろう。
(それが溶けずにパニックになるのを、
毎年我々は笑って見ているわけだが)

いやむしろ、逆なのかな。

首都圏で売れないから、北海道や東北が主戦場になり、
少ないパイを奪い合うために、
不相応に見える販促費の投下合戦が繰り広げられているのだろう。

正直言って(2度目)、「滑らない」「氷に効く」なんてのは
お題目みたいなもんで、滑るときは滑るからね。

冬道の運転は、ドライバーの注意力、気力に依存するところが大きい。
滑らないなら、死者出ませんから。

まあそれでも、みんなスタッドレスタイヤは買うんだけどね…。

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若大将のゆうゆう散歩

お散歩番組のパイオニア、「ちい散歩」が、
主役の逝去で存在が危ぶまれた。
その危機を救ったのが、我らが若大将「加山雄三」であった。

永遠のスター・加山雄三、御年75歳が、
ジジイとは思えぬ快活な「漫遊」を見せる番組である。

基本的に関東ローカル番組であるが、
BS朝日でも月曜~木曜、午後5時25分から放送されており、
全国どこでも楽しめる。

正直「ちい散歩」はあまり食指は動かなかったが、
「ゆうゆう散歩」は、見れば見るほど面白くなっていく
(おかげで「ホールドオン!」を見るのをやめてしまったほどだ)。

先述通り、加山は75歳。後期高齢者である。
その加山が、若さいっぱいに、街を闊歩する。
少し突き出たおなかも愛嬌だ。

加山と言えば、上原謙のせがれであり、500円札こと岩倉具視の末裔。
そんな毛並み豊かなサラブレッド・元祖慶応ボーイが、
ランニングに短パン、サンダルばきの爺さんにニコニコ愛想を振りまき、
腕毛たっぷりの右手を突き出しシェイクハンド。
それだけでも愛らしい。

そして加山は「また太っちゃうよなぁ」なんて言いながら、
和菓子店に入っては甘い物をつまむ。
駄菓子を振る舞われば、カメラマンや音声さんに食べさせる。
なんとお茶目なんだろうか。

フランクなイメージがあるが、
実際には、より年上のジイ様には慇懃。
「若大将」のイメージとは少し違う部分が見られるところもいい。

「若奥さまと赤ん坊」にはからきし弱いのもいい。
ベビーカーを見つけるとすぐに近づいて、
腕毛生えろよ、とばかりに子供をあやし、
若奥さま方に田能久エキスを放出せんと語りかけるのである。

そしてときおり炸裂する「ダジャレ」。
これがまたどうにもツッコミ甲斐があるのだ(笑)。
そのタイミングで流れる快活なエレキのBGMが心地いい。

番組の途中で、その街の歴史を紹介したりするシーンなど、
必ず1回は、若大将の往年のナンバーが流れる。
昭和40年代の名曲もあれば、最近リリースした曲まで、さまざま。
個人的には、昭和50~60年代あたりのサウンドにグッとくる。

ラストは若大将が街の感想を一言語り、
さらに若大将の朗読つき直筆メッセージ。

この「俺様番組」っぷり、もうたまらない。
常に若大将におべんちゃらを使いまくる、
ナレーター・宮本隆治の名調子も、いい雰囲気を醸し出している。

番組は、月曜・火曜は正味20分、水曜・木曜は前後編で正味10分。
あとは主婦向け通販コーナーなので、見なければ見なくてもいいが、
生稲晃子やラッシャー板前の確かな仕事ぶりを味わうのもまた一興。

ややもすれば、遠くへ散歩に旅立った前任者と若大将を
比べたがる向きも多いようだが、
この番組は「人情派俳優のふれあい旅」ではない。

「往年のスタアが、街に舞い降りた」のを楽しむ番組だ。
だから、別物なのだ。
そう思ってみれば、これほど愉快な番組もない。

「関心」「感動」「感謝」。
「人生の三かん王」を目指す若大将は、
今日もどこかの街を歩いている。

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