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寄席若竹に見る「ニーズとシーズ」

先日放送された先代・三遊亭圓楽を取り上げた番組で、
当然ながら「寄席若竹」に触れていた。
圓楽が私財をなげうって建てた寄席である。

結局5年で撤退することになり、
圓楽の元には借金だけが残った。
「笑点」の「大喜利」でも長らくネタになっていたので、
ご存じの方も多いだろう。

時は80年代末の、バブル経済後期。
結局圓楽は借金を完済したというが…

7億円をかけたというビルは現存している
ナナシ的エンタメすたいるnet)。
塔屋にはでかでかと「円楽党」と素人文字で書かれ、
入り口には、竹をモチーフとした看板プレートが残っている。

なぜ「寄席若竹」はうまくいかなかったのか。
大きいのは立地だろう。江東区役所の向かいではあるが、
「東陽町」は盛り場でもない。
いまの地図を見てもオフィス、学校、住宅ばかり。
20年前も同じだろう。

都内の正式な寄席は池袋、新宿、上野、浅草と、
いずれも交通の要衝、もしくは一大歓楽地である。
立ち寄りやすいし、終わった後も一杯、なんてこともできる。
いっぽう、東陽町は今でも地下鉄東西線しか通っていない。
あとはバスくらいのものだ。

当時は落語ブームなんて夢のまた夢、
「お旦(ごひいき)」でもない限り、
わざわざ何もない東陽町まで行く客が大勢いるとは思えない。

そもそも、先述の寄席が都内にはあったわけだから、
その時点で強力な競合相手があったのだ。

圓楽ひとりで寄席を建てるには、
土地代を考えると東陽町が限界だったのかもしれないが。

また、若竹の設立理由が「三遊亭円楽一門の若手育成」、
というのも、短命の理由だろう。

圓楽は落語協会分裂騒動を首謀し
(師・圓生の協会脱退という個人的思いつきを、
協会転覆を狙って煽ったのが圓楽だった)、
結局協会に戻れず、先述の寄席を締め出された。
若手が活躍する場を…と私財と借金で若竹を建てた。

ぐんぐん伸びる若い竹のように、という
思いのこもった名前がつけられていたのだ。

その志やよし、と思いたくなるが、
それは「ユーザオリエンテッド」、客側の発想…
ではない。

送り手、店側の勝手な事情である。

実際には(同じく寄席を締め出されていた)立川流も出演していたようだが、
人気落語家・芸人が少なく、客のニーズがあったとは思えない。

店を開くなら、客の要望を考えること、
そして立地も大事だ、ということだろう。
どっちかが欠けていてもうまくいく例はいくらでもあるが、
若竹は、どちらも欠けていた。
圓楽のやる気だけが充ち満ちていたが、
それで残ったのは借金だった。

それでも圓楽は地位も人気も実力もある落語家だったから、
借金はなんとか返済できたけれど。

なんの後ろ盾もない人は、
そんな野放図な計画で開店しちゃいけない。
周到に準備すべきなのだ。

数年前に星に旅立った王子様・圓楽から、
そんなことを学んだ次第。

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