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笑点を考える

「笑点」と「サザエさん」が呼ぶ日曜日の憂鬱…
なんてぇことを申しますが。

日本テレビ「笑点」は、日曜夕方に長年君臨する演芸番組である。
昨年逝去した、立川談志が番組を立ち上げた。

それから40年以上、放送され続けている。
いまや知らない者はいないのではないか
(沖縄県では長らく放送されていないようだが)。

「笑点」=「落語」と思っている人は多いと思うが、
確かに「落語家」は大挙して出演しているものの、
落語を口演することはない。

彼らがやっているのは「大喜利」。
大喜利とは寄席の最後の出し物のことで、
「笑点」では"とんち合戦"を「大喜利」としてやっている。

この番組のせいで、とんち合戦が大喜利と同義になったが、
いずれ、噺家の余興にすぎない。
(ただし、プロレスと同じく…これ以上は言わないでおこう)

しかも番組が30分間なのに、
うち20分間が「大喜利」なのだから不思議だ。
いちおう「最後の出し物」に、違いはないが。

まあ「大喜利」が「落語」そのものだと思っている
バカな子供はいないだろうが、
「笑点」で「落語」が放送されたことはしばらくない。

春風亭昇太が大喜利レギュラーになって少し後に、
熊本県の収録で「ちりとてちん」を演ったのが最後だと思う。

現在、演芸コーナーは漫談家や漫才、中堅どころのコントが
出演するのがほとんどで、落語が入る隙がなくなっている。

実は以前「笑点」は40分間の枠があり、
演芸も2組出ていて、2組のうち1組は落語をやっていた記憶がある。

先代の三遊亭円楽の時代、落語も退潮の時期にさしかかり、
30分間に短縮されてしまった。
現在のように演芸1組の放送時間を、
大喜利の放送時間が上回る状態になっている。

現在も落語ブームといえばブームの時期のはずなのだが…。
やはり「数字」の世界の天秤にかけると、落語は厳しいのだろうか。

それでも大喜利メンバーであることは落語家として「ステイタス」であり、
メンバー出演の落語会は、全国で大盛況となっている。

特に桂歌丸は、若手の時代に談志によって大喜利に抜擢され、
現在司会を務め、落語芸術協会の会長にまでのしあがっている。
地元の「横浜にぎわい座」の館長の座にもある。

ただ、噺家としての歌丸の評価はあまり高くはない。
落語通を自認する人のブログで「春風亭歌丸」と
誤記されているのを見つけたこともある。

そもそも落語通でも「笑点メンバー=ミーハー受け」のような
先入観があるようで、あまり好かれてはいないようだ。
(小遊三や昇太はそれなりに評価されているようだけど)

ただし、これだけ娯楽が多様化した世の中で、
「落語」というか「落語家」が、メディアの王たるテレビに君臨し続け、
もって落語文化の啓蒙にいたらしむことの重要性は、
評価されるべきだろう。

ただ、やはり落語家の出る番組なのだから、
「余芸」ではなく「本業」を見せてほしい、と願うのである。

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