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2011年7月

水戸の道路はトラックばかり

水戸といえば、「水戸黄門」の終了決定で大騒ぎか…と思えば、全く違う話題で騒ぎになっている。黄門さまも全国を漫遊したことになっているが、同じように日本列島をまたぐ話になっている。

中型車以上の自動車、トラックなどは、8月末まで東日本大震災復興を理由に、水戸インターチェンジ以北での乗降は無料となる制度が6月から始まっている。
しかしこの制度を逆手に取り、九州などから来るトラックが、用もないのに水戸ICまで来てそこで降り、Uターンして再び水戸ICから高速に乗って、目的地である東京などへ逆戻りするケースが相次いでいるという。

なんでかな、と一瞬思うのだが、よく考えれば、水戸ICで降りて、水戸ICで乗っているので、結局このトラックは高速料金は無料となるのだ。

このため水戸ICはトラックなどの大型車両の乗り降りで混雑するようになり、また近隣地では、水戸ICに戻ろうとするトラックのUターンで交通に支障が出ているという。(読売

「制度の悪用だ」「震災復興をなんだと思っているんだ」…マスコミは糾弾の大合唱である。

額面通りにとらえれば、まあそうなんだけど。
個人的には、「マスコミはきれい事で済ませられるから楽でいいよな」というのが今回の感想。

「高速代をタダに出来る」方法があるのなら、なんだって試したい、というのがトラックを使う業者の言い分ではなかろうか。

運送業者は過当競争の上、昨今の燃料費高騰で青息吐息。ギリギリの戦いを続けているのだ。
そこに「高速無料」という策があるというのは「福音」以外の何物でもない。

マスコミの取材を受けるトラックの運ちゃんたちは、一応悪びれている人もいるようだが、彼らはみな「従業員」。業務命令には従うほかない。
その上、仮に九州から大阪までのルートで「水戸IC作戦」を使う場合、無駄に大阪から水戸を往復しなければならなくなった。運ちゃんはある意味「被害者」である。
時間との競争もあり、水戸市内で手っ取り早くUターンしなければならず、結果、迷惑をかけることになるのだが、それもすべて「オンザジョブ」なのである。

この制度では、東北地方で「被災証明書」を受け取った一般車両も無料となっている。トラック同様、復興とは無関係の観光などで被災証明書を使い高速料金を無料にするケースが相次いでいる。こちらも少し前に、被災証明書を受け取る長い列が報道されたので、覚えている方も多いだろう。

問題の根っこは同じで、マスコミはやはり「リョーシンのカシャクはないのか」という報道のしかたをしている。
とくに岩手の場合、被災地である沿岸部に有料高速道路はなく、被災者のほうも自動車を流失するなどしており、復興には役に立たないのが実情である。

でも、高速料金が無料になるというのなら、使っちゃうよねぇ、というのがホンネだと思うのだ。

いずれ、こういう制度を作ってしまった以上、こういう「問題」は起こるべくして起こるものであり、国土交通省だか内閣府だか、どこが発案したか知らないが、すでに予測はしていたはずである。

いちおう、震災地の復興に活用されるケースも少なからずあるとは思うが、マスコミはそんな部分には注目するまい。ネタとして面白くないからね。
今回の方策は「性善説」に基づいたものであるが、世の中そう、お人好しばかりじゃない。「渡る世間は鬼ばかり」だ。あ、このドラマも終わるんだっけ…

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地デジ時代はデジタル時代

アナログテレビ放送が、7月24日終了した。
白黒テレビ放送がはじまって58年間、
カラー化に次いで、テレビ放送はまた一つの節目を迎える。

岩手・宮城・福島の被災3県をのぞき、
アナログの地上波放送が正午に終了。
「歴史的瞬間」を録画しようと、使っていないビデオデッキ(テープのやつね)を
引っ張り出したヲタクも多いだろう。かくいう自分もその一人である。

…と、筆者は岩手在住なので、アナログ放送は終了しなかったのだが、
とりあえず録画だけはしてみた。

正午を境に画面の形が変わったりするのかと思ったが、
そういうこともなく、淡々と放送が続いた。

この日は「FNS27時間テレビ」など、キー局においては、
地デジ移行を期してカウントダウンなどを行う、浮き足だった放送が目立ったが、
岩手の場合はそんなお祭り騒ぎもなく、正午をまたいで再放送を行う局もあった。
歴史的瞬間はとりあえず、来年3月にお預けとなる。

なお、同様にBSアナログ放送もこの日の正午終了したのだが、
こちらも淡々としたもので、NHK衛星は、ゴルフ中継途中で、
バサッと画面が放送終了を告げる画面に切り替わった。

これと前後し、新聞報道は「地デジ難民」などといった文言を使い、
無情な放送行政を批判する文脈が目立った
(ほとんどの新聞社はテレビ局を傘下に持つため、その刃は多少、鈍かったが)。

都市部ではビル陰問題なども少なからずあったようだが、
実際、5年間もPRし続けて、まだ地デジ移行していなかったというのは、
テレビによほど無頓着な人か、あるいはテレビが嫌いだったりして、
意図的に地デジ対応を拒んだ人が多数を占めているものと思われる。

アメリカではデジタル化延期がされるなどして、
すんなり移行できなかったのだが、我が国においては、
(震災による3県延期さえなければ)デジタル放送への移行は、
比較的スムーズに行われたのではないだろうか。

放送に詳しいジャーナリストの中には、
ことさらに地デジ移行を批判する者もいたが、やや騒ぎすぎだと思う。

そもそも、デジタル放送移行は世界的趨勢であり、
電波の有効活用にも寄与することは誰の目にも明らかだ。

放送局が無批判に行政施策を受け入れて…などと批評されもしたが、
世界的な流れに日本だけが立ち後れることを、
放送局が是とすることは許されまい。

被災県にいる者として、その視点に立ち戻ると、
ほんとうに地デジ延期は必要だったのか、と改めて思う。

避難所や仮設住宅ではすでに地デジテレビが用意されているし、
なにもデジタルテレビだけが津波で流されたわけでもなく、
アナログテレビも同様に流されているはずなのだ。

共聴施設への被害もあったとは思うが、
基本的にこの延長は、(高いデジタルテレビを買わされる)
被災地感情への配慮が大きいと思われる。

デジタル放送においては、世界にも類を見ない、
「厳しすぎる著作権管理」という問題もある。
いわゆる「コピー10」とか「コピーワンス」だ。

「フリーオ」などの「便利な道具」は、テレビ局等の著作権者には都合が悪いのに、
法的に取り締まる明確な理由がないというから、いかに過剰規制かが分かる。

インターネットとテレビ放送の予想外の親和性のなさも、課題の1つだろう。

YOUTUBEなどの動画サイトにおいて、
テレビ局や権利者側が、動画サイトを細かく監視し、
著作権違反を理由に、アップロードされた動画削除をいちいち申請したり、
あるいは最初からアップロードできないような策を講じたりしているが、
これとて、いたちごっこは終わるまい。

そもそも放送局が、ネットでの動画配信を真剣に研究し、
課金モデルなどインフラを確立すればこんな問題はおこらなかったはずだ。
「トレソーラ」などの実験は、ムダだったのか?

コンピュータ、ネット回線の普及が、
テレビの世界を大きく変えることになりそうなのに、
ことこの方面においては、テレビ局側は保守的に過ぎる。

過剰な著作権主張、煩雑な肖像権処理で、
消費者の利益が棄損されるデジタル時代。
地デジも推進できたのであるから、次なる課題は自明であろう。

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映画「落語物語」

林家しん平脚本・監督、落語協会完全協力による「落語映画」が
いよいよ盛岡で上映開始。さっそく「フォーラム盛岡」に見に行ってきた。
東北では早いほうだが、首都圏では8日をもって川崎を最後に上映が終了している。

なお、公開開始は3月12日だったが、
地震でプロモーションも全部パーになった、悲劇の映画でもあったりする。

どんな映画かはすでに上映直前にさまざまなメディアで情報は仕入れてあった。
公式サイトを見れば、大体の雰囲気はつかめる。
その準備は必要だったのかは、さておき…。

なおチケット購入時に千社札シールをもらったが、
全劇場でのサービスではないらしい。

主役級は3名、落語家・小六のピエール瀧、その妻の田畑智子、
そしてピエールに弟子入りする小春役には本職の柳家わさび
しかし彼らはストーリーの横軸をつなぐ「狂言回し」のようなもので、
格好いい言い方をすれば、この映画の主人公は「落語」「噺家界」である。

上記の3人であるが、まずまず好演していると思う。
ピエールは某CMでも披露しているような「うだつの上がらない」
しかし「どことなく芯のある」男、というイメージの噺家を演じきっている。

そのピエールに弟子入りする青年・小春役のわさびは、
気弱そうな見た目そのままに、徐々に成長していく姿が愛らしく頼もしい。

田畑は、童顔で声も幼く、おかみさん役には少し物足りないが、
若き日のピエールとの恋愛シーンはおそろしくハマっていた
(逆にピエールが老けすぎていて興ざめするほど)。

監督は、なかなかうかがい知ることの出来ない、
落語界の裏側を描くことに主眼を置いており、
ストーリーはその肉付けのためにしたものである。

だからそれを追ってみても、
その陳腐さ(おそらくわざとかもしれないが)に
ヘキエキするだけだ。
「落語の世界」に浸かるための映画だと思ってみるのがよい。

主役の噺家夫妻のやりとりシーンが、冒頭からクサくてややウンザリするが、
馬石が出てくるあたりから「ケレン味」に変わってくる。
あとは個々の楽しみ方をすればよい。

落語をちょっとかじったような人ならば、
チョイ役で出てくる噺家のダイコン芝居に舌鼓を打つもよし。

落語を知らない人は、あんまりこの映画は見ないかも知れないが…、
落語家のギョーカイってこんななんだ、と実感してみることができるし、
もしかしたら落語に触れるきっかけになるかも知れない。

問題はかじりすぎた人だが、おそらく「あれは違う」とかなんとか、
文句をつけたりするんだろう(快楽亭ブラックみたいに)。
まあそういう人はおいておくが。

この映画の最大のポイントは、出演者の多くが、
落語協会の噺家・芸人でまかなわれているところ。
出番の多い大御所衆が、存在感を出しまくっていてよい。
ぼったくりバーマスターの柳家喬太郎、
床屋の主人役の柳家権太楼、ベテラン漫談師役の春風亭小朝…

ほかにも、落語協会会長役はあのペヤング・桂文楽が演じ、
幹部・席亭役には三遊亭歌武蔵や柳家小袁治が顔を見せ、
中堅漫談師&協会役員役の笑組、観客役に扮した春風亭百栄など、
知っている芸人が多ければ多いほど、ニヤリとさせられる。

ほか、「リアルおかみさん」海老名香葉子が、弟の方の息子と出てきたり、
シベ超ファンには「ホームラン」の出番もたまらないの一言。
本職の俳優陣では、刑事役の新井康弘は確信犯的キャスティングか。

ではここで、脇役勢の個人的「ナイスキャスト」ベスト3を、
(広瀬和生を意識しながら)紹介。

3位 嶋田久作
 2位の馬石の師匠役。「怪優」のイメージが強い俳優だが、
 今作では、渋みと哀愁、そして慈愛に満ちた、
 大物(の地位を弟子に譲った)落語家を見事に演じきっている。
 馬石との「緊張」が、一気に「緩和」するまでの流れがとにかく美しい。
2位 隅田川馬石
 もと舞台俳優という経歴だけに、芝居のうまさはピカイチ。
 円生の生き写しのようなイヤミな売れっ子落語家役にハマりきった。
 最後は(ネタバレ)撲殺されてしまうのだが、
 そんな悲劇の男を、終始哀感をただよわせながら演じている。
1位 三遊亭小圓歌
 あの可憐な小円歌姐さんが、女流真打で協会幹部役。
 不実の恋に落ちる売れっ子の弟子を、鈴本の階段でビンタするシーンは、
 能面のごとき表情とあいまって迫力たっぷり。
 文句なしの1位を差し上げたい。

映画は(ネタバレ)おかみさんの死でクライマックスを迎え、
最後に小春が前座の身でトリをやってのけ、エンディングとなる。

クレジットシークエンスが始まると席を立っている人がいたが、
実際は映画は続く(ま、見なくてもいいっちゃいいんだけど)。

映画中、断続的に五七調の格言のようなものが表示されるのだが、
ラストに画面にはこう出てくる。

「笑わせる腕になるまで泣く修行」。
この映画のエッセンスが詰まった言葉であるが、
これは、しん平監督の師匠、あの「根岸の師匠」の言葉である。

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九州人の「急終」~復興の道遠し

「電撃的」だった。
4日には退任しないとしていた松本龍復興担当大臣が、
5日朝になって、菅総理に辞表を提出したのだ。即受理され、退任と相成った。

即座に行われた会見で「妻と子供に世話になった」
「粗にして野だが卑ではない」「ネバー・レット・ミー・ゴー」
「相変わらず嫌いな与野党」「『チームドラゴン』は無能の私を除いて最強だ」
など、独特の「ドラゴン語録」を残し、内閣を去っていった。(毎日

辞任は4日の夜9時半に決めたという。(毎日
続けると言ったその日の夜だ。
自他共に認める「九州の人間」は、あきらめるのも早かった。
粘り強いとされる東北人とはえらい違いである。
(もちろん、粘り強い九州の人もいっぱいいるとは思いますが)

一連の舌禍を批判するマスコミの追撃も、
どこ吹く風とかわしていた「松本流」は、
急な辞任という形で、極端なダンディズムを貫いてみせた。

4日までは続投の意思を示していたが、
6日から始まる国会の障壁となるのは確実だった。
圧力に負けたのか、自ら身をひいたのか。

しかし、総理の任命責任を問われるのもまた確実となり、
これでいよいよ野党に付けいるスキを与えたことになる。

産経新聞はさっそく石破政調会長の「菅首相こそ退陣を」との言葉を取り上げている。
石破氏でなくとも、野党は形勢逆転に向け、
敵失(とミゾーユーの災害)に乗じての本気モードになっていることだろう。

延命を狙っていたとしか思えない菅総理も、命脈つきたか。
菅を倒すのは谷垣でも小沢でもなく「龍」だった…ということになるのか。
カンリュウ退陣。「還流」か、それとも「寒流」か。

もともと松本氏、菅総理とは相性がよくなかったという。

マスコミの前で不遜な態度を取ることで、菅総理と「差し違えたかったのでは」
とうがった見方をする向きもあるが、それもどうだろうか。
菅氏をやめさせたいなら、そんな凝った方法をやらなくとも、
もっと上手いやり方はいくらでもあるはずなのだ。

「村井知事の巌流島作戦」説も浮上している。
宮本武蔵のごとく後からのっそりやってきて、
佐々木小次郎=松本氏をわざと怒らせて、失脚を狙う…
うーん、それも考えすぎだろう。

松本大臣から「あいつは俺の弟みたいなもんだ」と「認定」されていた、
宮古市の山本市長は「長く見れば本当のよさが分かる人物」と
退任を惜しんでいる(テレビ岩手)。

そりゃ、大臣と密に接する被災地首長であれば長い目でみることもできよう。
その上「俺の弟」とかわいがられていたのだから。
しかし、被災者・避難民はそこまで濃密な関係にはなれない。

大臣就任前はもっと穏和だったはずなのに…という人物評もあるが、
例の「恫喝」「オフレコ」で人物像を作り上げているのではないか、という見立てもある。
真実は分からないが。

復興担当大臣の後任には、岩手出身の平野達男副大臣の昇格が決まった。
願わくば長く務めて欲しいけれど、おそらくそれは難しいだろう。

いずれ、松本氏については今朝の段階までいろいろ書き連ねていたのだが、
全部無駄になってしまった。口惜しいのでいちおうアップはするが。

当方のブログなどはどうでもよいのだが、
それにしてもなんだか、いろいろなものを水泡に帰すような人だった。
復興もこれで水の泡に…とならなければよいのだが。

すべてわざとやったとしか思えない。
「九州の人間やけん、東北のことは知らん」ということではないことを祈りたい。

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無駄になった文章

(この文章は7月5日朝までに書いていたものであり、
その直後に松本大臣が辞任することは加味しておりません)

3日の松本龍復興担当大臣の「失言」「放言」問題は大きな反響を生んでいる。

岩手県庁では「知恵を出さない奴は…」など発言はあったが、
過激な言動は少なかったこともあり、岩手県内のメディアは総じてマイルドな報道に終始した。

いっぽう、宮城県庁では、ぞんざいな口調のほか、
「長幼の序」「握手拒否」「オフレコ」などのわかりやすい場面があった。

それでも宮城県内ではブロック紙の河北新報がやはり甘い報道に終わったのに対し、
その系列である東北放送が正面切って松本大臣の態度を批判しており(J-CAST)、
こちらは高く評価されている。(なお、東日本放送でも批判報道を行っている)

3日の時点ではヘイヘイといった感じだった村井宮城県知事は、
1日あけた4日になって手のひらを返し、
「命令口調ではなく丁寧な口調で接していただければ」と記者に語っている。

また、当日は松本大臣が早めに部屋に入っただけで、自分は定時に部屋に入った、とし
「今度松本大臣が来た際は、松本大臣“バージョン”で出迎える」と皮肉を言う余裕もみせた。
形勢逆転といったところか。

なお4日の段階でも岩手のメディアは総じて「冷静」で、
ほとんど無視。ほかに伝えることがあるだろう、ということか。
岩手めんこいテレビが宮古市・陸前高田市の両市長による、
大臣を擁護するコメントを拾ったのみであった。

しかし、4日には「知恵を出さない奴は助けない」のほかは
復興に関する発言の要旨(=在京マスコミはあまり伝えていない部分)しか載せなかった
岩手県の県紙は、5日朝刊になって、
岩手での「仮設建設はあなた方の仕事」「九州の人間だから」、
宮城での「ちゃんとやれ」「先に入れ」「オフレコ」を
はじめて掲載している(なお夕刊は廃止している)。

4日はほとんど無視していた岩手県内のテレビメディアも、
さすがにこの話題に触れざるを得なくなるかも知れない。

「仕事さえきちっとやってくれればいいんだ」と、
松本大臣を擁護する人も少なくない。
まあ、それは間違いない。

ただ、被災県に実際に出向いてああいった態度を出すというのは、
「本性を見せた」「馬脚を現した」と言われても、しかたがあるまい。

松本大臣にとっては、ある種「恫喝」にも見えるような話し方が常套手段だとしたら、
それが東北でも通用する、と思っていたのかもしれない。

「俺はドーワ系だぞ」「ブラクがバックにいるぞ」と言えば、
ビビるような人が東京以西には、いるのだろう。

松本大臣は以前から被災地入りしており、
気心知れていたからこそああいう態度を取ったのだ、とみる方々もいる。
テレビカメラが何台もある場所で?と思うが…。

ふだんの松本大臣はああじゃない、何らかの背景があるのだ、
とみている人も多いのではないだろうか。
有田芳生議員はまさにそういう感じで、
Twitter上で松本大臣をかばって大ひんしゅくを買っている。

ジャーナリスト時代に都はるみに傾倒するなど「差別」には敏感な立場であり、
松本氏擁護に回るのも致し方ないのだろう。

しかしそういう「仲間」は少数派であり、
与野党から批判の言葉が続出している。
ちょっと前なら、自民党にとってはこれ以上ないオイシイ材料であり、
「一点突破全面展開」できたかもしれない。

まあ、自民党はすでに「政局ばかり見て、復興する気がない」と思われており、
この戦略も賞味期限切れだったりするが。
かといって民主党には、じわりじわりと松本発言が効いていく。

とうの松本大臣は、記者に「(村井)知事が批判しているが」と問われ
「いや~すごい知事やな~」と反省する気もない様子。
その割に、陳謝する会見をし「傷つけたのならお詫びする」としているが、
「博多の人間だから語気が荒い」「私はB型で短絡的」と、
またシャレにならないようなジョークをかまし、
さらに中央マスコミからからかわれている。

こんな人物に東北の復興を任せるのは、不安で仕方がない。
…で、次に続く

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面倒臭い大臣、松本龍

「民主も自民も公明も嫌い」の発言でおなじみ、
松本龍・復興大臣が被災県である岩手・宮城の両県庁を訪れた。

松本大臣は達増・岩手県知事に対し「国は進んだことをやっている。
県はそれについてこないといけない」
「知恵を出すところは助けるが、知恵を出さない奴は助けない」と発言。

また、仮設住宅の要望に対しては「それはあなた方の仕事だ」と、
突き放すようなことも言っている。

これだけでも、おいおい、という気がするが、
さらに「俺九州の人間だから、東北の何市がどこの県だか分からん」と、
「失言」を行い、事務方に指摘されるシーンも。

村井・宮城県知事に対しては、
漁港の集約化について「県の中でコンセンサスを得ろよ。
そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ」。

さらに、大臣よりも遅れて部屋に入ってきたことについて、
知事に「お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ」
「長幼の序(=序列)が分かっている自衛隊なら
それくらい分かるだろう」とカメラの前で堂々と言ってのけ、
「いまのは、オフレコです」。

(以上、時事朝日

宮城県知事に対しての発言は敬語で言ったのを直したのではなく、
実際にこのようなぞんざいな口調で話している。

村井知事は会談終了後の会見で
「地元のことをよく分かっている方に就任いただいた」と、
敬服しているのか、イヤミを言いたいのか、真意をつかめない発言をしている。

パフォーマンスとばかりに、県庁前でサッカーボールを蹴り、
達増知事にキャッチさせるというシーンもあった(達増氏は取りこぼした)。

河北新報(宮城県県紙、東北ブロック紙)の記事には、サッカーボールを持っている場面の写真があるが、
松本氏の「行状」には触れておらず、ずいぶん「甘め」な記事である。
岩手県の某新聞も似たような論調で、かなり小さい記事しか載っていなかった。

いっぽう、朝日新聞は「きわどい発言」「被災者感情を逆なで」と手厳しい。
甘い地方紙、辛い全国紙…反応のしかた、逆じゃないの?

とにかく、松本氏は「国の方がえらい」とでも言いたいかのような態度である。
最近の官僚でさえ、もう少し謙虚だぞ。

それに、政治家だったら、テレビカメラや記者達が居並ぶ前で、
こういうことをしゃべればこういう風に伝えられる、ということは
わかりきっているはず。「小沢一郎」という好例が岩手にあるじゃないか。
まあ九州の人間だから分からなかったのかもしれないが。

聞けば、松本氏は「部落解放同盟」に関係があるらしい。
東北地方では部落差別の例は聞かない(ゼロではないだろうが)。
部落アレルギーもないだろう、と言うことで松本氏を起用したのだろうか。

部落イコールヤクザ』とまでは思わないが、
紳士的だった野中広務と比べると、
松本氏のあのガラの悪さはひどい。

だから「部落」のイメージが悪くなるのではないか…
といっても本人に聞く耳はないのかもしれないが。

Wikipediaではさっそく「松本龍」の項目が今回の「放言」を受けて書き換わっており、
ジョークめかして言った「オフレコです。記事にしたらその社は終わり」の言葉尻を捉えて
「記者への恫喝を行った」とまで書かれてしまっている。

実際、両県知事との会談ではポジティブな発言もしており、
そちらを中心に取り上げているメディアもあるのだが(例・盛岡タイムス)、
テレビ報道などからは、「放言問題」ばかりを
センセーショナルに報道されることになってしまっている。

被災者側にしてみれば、この一連の報道を見ても「頼もしい」とは思えず、
「ちょっとしたきっかけで突き放すような人間」にしか見えないのではないか。

そんな幼稚な、面倒な政治家に「復興大臣」なんて肩書きをあたえるなんて、
まったくひどい総理大臣であるが、もうこの内閣にはあきらめムードしか抱けないので、
「松本復興大臣」に納得させられてしまいそうになるのが、恐ろしい。

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技術なき戦い

原発撤退すれば、20年後には電気料金が月2000円アップ、と日本学術会議が試算。(読売
橋下徹あたりは「また原発推進への誘導だろう」といぶかしがるに決まっているが、まあ素直に考えてもそんなものだろうと思う。

原子力発電の恐ろしさを、日本人は身をもって実感した。
しかしそれに反して、原子力発電の優位性も見せつけられてしまっている。

よっしゃ太陽光をやろう、と孫正義が景気よくぶち上げているが、自然エネルギーはまだ技術的にまだこなれていない。効率ではまだまだ、原子力や火力、水力にはかなわない。

震災と原発事故後、原発を反対すれば、技術革新にそっぽを向ければカッコイイ、という風潮が生まれてきている。

山本太郎や松田美由紀は福島をディスり、あの菅原文太も「原発はいらんのじゃぁ」「ケツ拭くのに電気つこうとるなんてアホの所業じゃけん」と長ドス片手のごとく宣言している。

その結果が、月2000円アップなのだ。家庭ならまだ我慢できるが、これが「産業界」となると結構な負担増となる。

日本製品の価格にも転嫁され、結果、日本では「ものづくり」(製造業の雅語的表現)ができなくなることになるだろう。

まあ、ラヴ&ピース的な方々に、日本を躍進させた「ものづくりパワー」の大切さ、技術革新の重要さを説いても馬耳東風だと思われるが。

人件費の高い日本からはすでにものづくり拠点が減っていて、中国などへのシフトが進んでいる。震災でまたその流れは進む。

結果、虎の子の技術を現地のずるがしこい者が上手に盗んでいく。中国の新幹線が日本のパクリだと、諸外国からもせせら笑われたのは記憶に新しいが、特許を出願されたらオシマイである。

特許は「先願主義」と言って、先に出したもの勝ちなのだそうで、ドメインみたいに後から抗議しても、ひっくり返すのは難しいらしい。

「製造」がダメなら「技術」で勝負、ったって、その技術すら、安価な人件費と、ジャブジャブ流れてくる「外資」(それは日本からのも含む)で奪われちゃったら…。

文太アニキに言わせれば「ケツを拭く技術よりも、青々とした麦を愛するのが日本人じゃぁ。ノドのホトケさんをかっ斬ったろうか」と怒られそうであるが、文太アニキが活躍した「映画」もまた、技術の粋の結晶だったりする。

技術を否定するのは今は格好いいかもしれないけど、日本人を、そして人類を否定することにもつながりかねない。

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