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福島市の平和を目にして

福島市に行って、たっぷり放射能を浴びて参りました…というケーシー高峰流のジョークで始めておこうか。

親戚が福島市にいるもんで、挨拶がてら行ってきた。

盛岡~福島の直通バスに乗った。震災後に設定されたものであるが、思いのほか客は少ない。運転手によれば、いつもこんなものとのこと。仙台で乗り換えた方が微妙に安い運賃も関係していると思うが。

約4時間で福島駅に到着。「フクシマ」とカタカナ呼ばわりされ、悲劇の中心地みたいに思われている福島県の県庁所在地であるが、行ってみれば、そんなことは感じさせない。放射能は「目に見えない」からねぇ。

親戚宅に顔を出し、しばし歓談。放射能については、気にしていないわけではないというが、生活は至って普通であるという。ただ、子供だけを東京方面に送り出してしまった「神経質な」親が近所に何人もいると。

近所のレストランで親戚と食事をしたが、放射能の話題はタブーのようだ。ほかの席には聞こえないよう、小声になるのだった。まあ、そうだろうな。

午後は親戚と別れ、ひとりで福島市内を回った。福島駅周辺は人が多いが、少し歩くとぐっと人通りは減る。やはり外出を忌避する人も多いとのことだが、原発騒動とは無関係に、自動車で出歩く人が多い、というのもあると思う。

街中では、ミニSLを運行する子供向けのイベントが開かれていた。山本太郎に言わせりゃ「オペレーションヒトゴロシ」か。子供達は楽しそうだったけどね。

お休みということで、福島市のデパート「中合」では和太鼓の演奏が行われ、お客が多く集まって演奏に耳を傾けていた。単なる休日のひととき、という気もするけど、ひときわ意味のある演奏会だったのかもしれない。

県庁近くの本屋にふらりと立ち寄る。涼を求める客でにぎわう店内、入り口の週刊紙売り場に「25年後のフクシマ、チェルノブイリの現状」という見出しに一瞬ドキッとする。

その本屋の近くに小さな花畑。本来は市民をほっとさせるためのお庭に盛んに咲く花を見て、やや多めにホーシャノーを浴びて育ってるんだよな…としみじみ思うが、いやいや、考えすぎだ、と思い直してみたり。

「MAXふくしま」とか「イトーヨーカドー」にも立ち寄り、駅ビル「ピボット」「エスパル」でもお買い物。漬け物や野菜、お菓子などを買い求め、福島にいろいろお金を落として、帰りのバスに乗った。

至って平和な福島市内を見て、「オペレーション・コドモタチ」の連中をどう責めてやろうか、と考えたのだが、彼らは彼らで純粋だしなぁ…と逆に思った。

彼らが福島に住まう人たちをピュアに責めるように、福島に残る人たちもまっすぐな思いで福島にとどまることを決めている。どっちも思いはまっすぐだ。

ただ、福島市内には元気に走り回る子供がまだまだ普通にいる。子供を福島県内、東北地方内に残すことが本当に悪いことなのか?と考えさせられる。

関西とか九州とか、今回の放射能問題とは無縁の土地にいながら「コドモタチがかわいそう!」とか言っている連中は、「あなたたちのことを心配しているのです」といいながらも、しょせんは他人事だろう。居残ることを決めた福島県民が何十年後かに白血病やガンになったりするのを、心の底で期待しているんじゃないか、と疑いたくもなる。

壮大な人体実験をはたで見るのは、そんなに楽しいか? 正義の味方面は、気持ちがいいですか?

福島市は、平和でしたよ。

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