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2011年4月

砂上の楼閣

粉飾決算の罪に問われていた、
ライブドアの元社長・堀江貴文被告の上告が棄却され、
2年半の実刑が確定。収監されることとなった。(読売

彼がさっそうと「ネット界の風雲児」として世に出たのがざっと7年ほど前か
当時、ネットではほとんどが彼の味方だったが、
弊ブログではずいぶん叩かせてもらったことを思い出す。

いまも彼のシンパは多いけど、
それでも、当時からすると、メッキがはがれたな、という印象を持つ。

選挙に出たり、逮捕されたり、あげく死人まで出た。

既存勢力に戦いを挑み続け、
「想定外」などという言葉を流行らせた「若者のヒーロー」が、
敵視していたはずの既存勢力と手を組んで政治に打って出ようとし、
いっちょまえにスキャンダルを起こすようになった。

時が経ち、若者のヒーローも齢を重ね、「おじさん」になっていった。
味方をしていた世代も年を取り、
次に出てきた若い世代も皆は支持してくれなかった。

少なくとも堀江氏は根回しをあえてしないまま、
世間を騒がせることを楽しんでいたきらいすらあった。

すべてが「若気の至りだった」で片付けるのは、乱暴かもしれないが、
彼に集まった「熱狂」が、だいぶ冷めてしまったのは間違いなく、
刑の確定はその象徴かもしれない。

裁判について、真実を問うことはここではしない。
かなり時間がかかるだろう。

堀江氏は出所してからも自分の無実を主張し続けるはずだし、
さらに、自分を追い墜とした「日本」に、
逆襲を仕掛けてくるはずである。

そのときまで影響力を維持しているかは別として…。

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アローン・網イン

上野に「ひとり焼肉専門店」オープン…(上野経済新聞)。

一人では絶対行けないのは、カラオケボックスと焼肉屋…
だったはずだが、とうとう焼肉も、単身で楽しむ時代になったか。

ほかの客の目を気にせずお肉をヤキヤキできるよう、
席はひとつひとつ間仕切りされている。

運営会社は「ニーズは確かにある」と見込んで
お店を開いたという。
女性客や高年齢層の客も来ているとのこと。

ラーメンや牛丼だったら一人でお店に入れるけれど、
焼肉はそうもいかない。
仲間と連れだって行かないと、なかなか足は向かない。

そこに、この店は目をつけた。
「一人で焼肉食べたい人もいる」。

肉喰いたいけど、友達や家族を誘うのは面倒…
そうなれば焼肉を諦めざるを得ない。
店側にとってはまさに機会損失である。
そのニーズをうまくすくい上げたわけだ。

間仕切りを置いたのもポイントだろう。
確かに、ラーメンなどと違い、焼肉はジュージューと音が出るし、
チラチラ横を見ることもたやすい。
赤の他人に何の肉を焼いているのか見られるのは、
あまりいい気持ちはしない。

他の客どころか店員とも目を合わせずに済む、
「味集中システム」の「ラーメン一蘭」を以前けなしたことがあったが、
その後も一蘭は売り上げを順調に伸ばしているというし、
やはりこういう「おひとりさま」方式は支持を集めているということなのだろう。

なかなかなかった「ひとり焼肉」の店。
これからの主流になるかも…。

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キウイ・立川・スーパースター

万年前座 ~僕と師匠・談志の16年~立川キウイ・著。

今のところ、2011年で唯一真打ちになる予定の噺家である。
暗い話題ばかりが世間に漂う中、
ひとり、うれしいプレッシャーを受け止めているラッキーボーイ。

ボーイと言っても、来年には45歳になる「おじさん」。しかも独身。
以前も弊ブログで紹介していたが
著書は積ん読になっていた。
それを、先日一気に完読した。

キウイによって紹介される談志は、とにかく「理不尽」。
なんてひどい人間だ、と皆思うだろう。

それなのに、ああそれなのに、青年・塚田洋一郎は、
談志の言うことすべてを受け入れてあげるのである。

一度惚れた師匠を、裏切りたくない…。
ピュアな青年は、このバンダナグラサンジジイを信じ続け、
男の人生の最も大事な時期を、棒に振る。

キウイが「不遇の時期」を過ごした同じ年頃に、
談志は「笑点」を立ち上げ、「現代落語論」を書き下ろし、
2度目の選挙で国会議員になり、
そして落語協会分裂騒動のフィクサーにまでなっているのだ。

かたや、落語界の頂点。
かたや、落語界の下っ端。

3度も破門扱いをされ、5人の後輩に昇進を抜かれるも、
一緒に暮らす両親の言葉でようやく焦燥感を覚える始末。

16年間を「前座」あるいは「破門状態」として過ごし、
40歳になってようやく「二ツ目」となる。
これだって遅いくらいだ。
しかも、昇進は談志の「気まぐれ」。理不尽、理不尽、超理不尽。

キウイは談志への恨み辛みなど一つも言わない。
愛する家元の言うことなら何でも聞く。
反旗を翻したのは、二ツ目昇進後の
「お前、いつでもオレのために前座に戻っていいんだぞ」
という言葉だけ。さすがにこれだけは「勘弁して下さい」と言うよりない。

天才・談志が(原則として気まぐれとは言え)16年も昇進を認めなかったのだ。
噺家としての才能はちょっと怪しいところがある。

それでも、作家としての「文才」を、この著書では遺憾なく発揮している。
後半にはほろりとするエピソードもしたためてみせる。

律儀に、原稿はちゃんと手書きしたのだという。
「辞める」と書きゃいいのに「廃業める」なんてウルさい書き方をするあたりも、
「職業落語家」へのこだわりが感じられるではないか。

ネットでの誹謗中傷についても軽く触れている。
Wikipediaを見れば、彼への誹謗目的と思われる記述が満載である。

そんな卑怯な連中に、キウイは「匿名アンチさん」と優しい言い回しで、
毎日のようにブログで(酔いに任せて)ケンカを売る。

先に昇進した後輩に軽い皮肉を言って見せたりもするところも著書にある。
案外、男っぽいところもあるのだ。

顔の見えないヤツにケンカは売っても、
世話になった人の悪口は言わない。

何があったか知らないが、
自分を「くさった果物」呼ばわりする、
元先輩のメタボ道楽助平アイノコ噺家・快楽亭ブラックのことを、
キウイはこの著書でもブログでも絶対に非難したりしない。

理不尽に首切りを言い渡した談志の元を去り、
名古屋で噺家を続ける後輩(雷門獅篭)にも慈愛の言葉をかける。

隣人を愛し、右の頬を叩かれても左の頬を出す。
キウイ=タテカワ・アズ・ジーザス・クライスト=スーパースター。

談志が落語の神様ならば、キウイは落語の神の子。
「現代落語論」が旧約聖書なら、
「万年前座」は新約聖書なのかもしれない。

神は理不尽なこともすることを、
我々は3月11日以降、嫌と言うほど思い知らされた。
その理不尽に耐えて耐えて耐え抜いた者だけが、
最後に生き残るのだ。

「本を書いたのか。褒めてつかわす、おまえ真打」。
神の気まぐれで、スーパースター・立川キウイは真打になる。

愚直で愚鈍で愚図な噺家が、
真打として降臨する2011年。
審判の時は、もうすぐだ。

(追記 4/26)
ご本人にモバイル版を読まれたことを確認。

いつか読まれると思っていたが…

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ひったくり俳優

俳優と言っても、ピンからキリまでいる。
華やかなイメージがあるが、実際には食うや食わずの者も多い。

働き盛りの年齢の俳優が、ひったくりを行い、逮捕された。(報知
取り調べでは『生活費に困り、20件くらいやった』と供述しているという。

父親は元プロ野球選手で、監督まで務めた人物。
だが超有名というわけでもなく、すでに故人。
七光りを浴びることもなく、俳優のスキルにも寄与するはずもなかった。

俳優の仕事だけでは食べられず、
ガードマンのアルバイトなどで食いつないでいたようだ。

妻もおり、元女子プロレスラーだったという。
迷惑をかけ続けたろうに…

日曜日には、チョイ役でテレビドラマにも出演するはずだったが、
場面はカットされた。

収録をやり直したと言うが、
いずれ、世間様に与える影響は軽微なもの。
いてもいなくても、世の中にはほとんど関係のない俳優だ。

たとえばひったくりした俳優が、
渡辺謙とか浅野忠信、妻夫木聡だったら、
世間は大騒ぎするだろうが、
この人たちは生活費に困るはずがない。

それでも同じ「俳優」を名乗るのである。

今は亡き山城新伍は、俳優やタレントなど、
自らも属する芸能人を指して「我々は河原乞食だ」と言った。

おごりたかぶるな、所詮、芸事を行う者は賤民の出なんだ、と
仲間たちをいさめる言葉である。

いま、芸能人を賤民だと言う人はどこにもいないはずなのに、
卑しい行為に及ぶ「芸能人」もいるのである。

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帰国する? しない?

福島原発の爆発で、日本から外国人がどんどん出国している。
言わずもがな、身に危険を感じての帰国だ。

ガイジンたちが言うほど、日本は危険なのかと言えば、
被災地に近い盛岡でさえ、いたって平和である。
東京だってそうだ。
それなのに外国人は相次いで帰国している。

ひるがえって、この文章を読んでいるあなたが、
外国に長期滞在していて、そのときに原子力発電所が爆発した、
と考えてみてほしい。

アメリカや中国では広すぎるので、
たとえばニュージーランドにいると仮定する
(かの国に原発があるかどうかは知らないが)。

国内の原発が爆発した、国は30km圏外なら大丈夫だと言っているが…

本人は大丈夫だと思っていても、日本にいる親兄弟とか、
友人、会社の人たちが「やっぱり帰ってこいよ」と言う。

いくら強靱な精神力を持つあなたでも、
滞在を続けることは、躊躇するのではないだろうか。

そう思えば、日本に滞在している外国人には、
拍手を送りたくなるというものだ。

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地デジ移行、被災県で延期

津波や原発など、東日本大震災の被害が甚大となった岩手、宮城、福島の3県において、
地上デジタル放送完全移行が最大1年間延期されることになった。(毎日

それ以外の都道府県は、予定通り今年7月にアナログ放送は終了するが、
上記3県ではおそらく1年間、継続される。

受信設備が流されるなどして、地デジの受信が困難な家庭が発生し、
改善が見込めない、さらに普及活動が実行できない、というのが理由となっている。

3県のテレビ局は、引き続きアナログの電波を発射することになるが、
その分のコストがテレビ局に負担となることから、
国の支援を望んでいるという。

先日釜石市内に行った。街中は空襲の後のようにぐちゃぐちゃになっており、
さまざまな機械類が、瓦礫・木の切れ端の合間にまみれていたが、
その中にはテレビもあった。最新型の液晶テレビも。

ただ、同じようにアナログテレビも流されているはず。
ブラウン管テレビが水に強いなんて話は聞いたこともない。

「受信設備」とあるので、数十世帯向けの小規模な受信施設のことを指しているのかもしれない。
だとしたら、確かに地デジは受信しにくい。アナログであれば、ノイズ混じりでも多少受信できる、
ということはあるが、地デジは少しでも電波状況が悪くなると見るに堪えなくなる。

受信設備や地デジテレビの補助をすればいいではないか、と言っても、
そんな予算はどこにもなかろう。
1年間アナログ放送の終了をペンディングして、
その間に生活が改善されるだろうから、
地デジテレビを買ってもらおう、ということか。

アナログ放送の延期は、被災県で地デジ移行のキャンペーンが張れなくなり、
今後3ヶ月での普及活動のラストスパートがかけられなくなった、
というのも理由になっている。なるほど、このタイミングでは
「地デジにしてくださーい」なんて言えない。

地デジ移行反対派がこれで活気づくのは必至。
「3県じゃなくて全国で延期しろ」「アナログで十分だ」
「最初から地デジなんかやらなきゃよかったんだ」
「人に迷惑をかける地デジは廃止だ」…

もう原発に似たような図式になってきているが、
別に地デジが爆発したわけでもないし、
有害な放射線を振りまいているわけでもない。
1年後に情報格差が最小限に済むよう、粛々と、取り組んでいくことだ。

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被災地格差

芸能人はどうして、石巻ばかりに行くのかなぁ…。

東日本大震災で、津波の被害に遭った被災地は、
北は青森県から、南は千葉県まで広範囲にわたる。

しかし、世間のイメージは「仙台はひどいらしいよ」。
東北を代表する政令指定都市が大ダメージを喰らった…
と聞けば、いかにすさまじい津波だったか、と思う。
ただ仙台の場合は津波よりむしろ「地震」や「風評」の被害が大きいのだが。

サンドウィッチマン、マギー審司、狩野英孝…
「我々のふるさとが…」とアピールする「被災地芸人」たち。
その「ふるさと」は「東北」のことを言っていたりするんだけど、
揃ってみんな宮城県の人である。

芸能人や有名人がこぞって被災地を目指すが、
どこに行くとなれば「よし、宮城に行こう」。

むしろ、東京に近いのは福島なのだが、
ご存じの通り沿岸部は「原発」でとても近づけない。
宮城と同じくらい被害を受けた岩手は「遠い」ので
行きにくいし、帰りにくい。

だから、みんな宮城に注目し、宮城に集まっていく。
石巻や気仙沼周辺が「人気」を集める。
もともと人口の多い県だから、そうなるのは当然かもしれないが…。

地元のマスコミすら被害を伝えない岩手沿岸北部(JB Press)や、
「東北」から仲間はずれにされて義援金も来ない茨城県など、
『被災地格差』が露骨に見え始めている。

完全な公正はあり得ないけど、
「よし、宮城だ!」と思う前に、一度考えて欲しいものだと思う。

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まともになれ、CM

CM自粛でテレビ局ピンチ…(産経)。
キー局ではすでに震災前の9割近くにまでCM放映が戻っている、という。

それならまだ良い方だ。岩手では3割程度ではないだろうか。
とくにステブレCM、スポットCMでは惨憺たる状況である。ほとんどACか、番宣だ。

とにかくありとあらゆる業界がCMから手を引いている。自動車、食品、飲料、アルコール…。
SMBC日興證券の社名変更告知CMとか、アフラックの震災関連CMが目につく程度だ。

地元系では、震災発生以後もずっと放映していたのは、盛岡市の「エムズエクスポ」くらい。
あとはほとんど自粛している。
最近の広告不況に、岩手県内の広告会社やテレビ・新聞業界が団結して
義援金付き広告キャンペーンを立ち上げたが、効果のほどはまだあまりないようだ。

一番大きいのはやはり「パチンコ店」か。自粛ムードに加え、石原都知事の批判によるダブルパンチ。
店自体は営業しているが、CMも新聞のチラシも、パチンコ店側は自粛している。

ちらしといえば、新聞のチラシは戻ってきている。
パチンコ店はさすがに出さないが、スーパーマーケットや自動車ディーラー、
家電販売店、紳士服量販店など、震災前の状態を取り戻しつつある。新聞の広告も同様だ。

テレビのCMだけが、目も当てられない状況にある。

広告主は「批判」「クレーム」を恐れているのだろう。このご時世になんだ、という抗議を。
しかしこのままではテレビ局もやっていけない。

先日も被災地に行ってきたが、自動車販売店には客もいた。
単なる買い換えなのか、それとも流されてしまったのか…。
いずれ、需要がなくなったわけではないのだ。

広告主は、「こっちは自動車どころではないのに何だ」
「酒なんて不謹慎だ」という声が来るのを恐れているだけではないか。

ちょっと待ってくれ。内陸地方では、ややモノ不足感は残っているけど、
まず普通に生活できている現状がある。
買い物も出来る。被災地の親戚や友人に届ける物資を買う人も大勢いる。

まず、被害がなかった、あるいは少なかった地域から、
消費活動を喚起して経済を活発にしないといけない、
だから自粛は良くない、とあれほど言われているのに。

広告主のこの腰抜けっぷりは見るに堪えない。

明日の月曜から復旧してくれるというなら、いいんだけれど…
また朝から晩まで「ポポポポーン」を見せられるんじゃ、たまったものではない。
もう飽きたよ。

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がんばろう岩手

『「がんばれ」なんて言えない』
ジャーナリストや評論家たちが口をそろえて言う。

どう、がんばれというのか。
もうがんばっても、どうしようもない現実が目の前にあるんだ…

でも、それには異を唱えたい。
「もうがんばらなくてもいい」とでも言うのか。

要するに彼らは、「みんなで頑張ろうと言いたがる風潮」に従いたくない、という
つまらないジャーナリスト精神を発露しているだけなのだ。

もしくは、見たこともない世界を文章にしたためようとして
無力感にさいなまれ、ガンバレと言いたくなくなっているのかもしれない。

そしてジャーナリスト達は、温かい東京に帰ってそういうことを言っているから、
実は、がんばれ、という立場がないのだ(そこだけは同情する)。

がんばらない宣言」という広告で話題となった岩手県ですら、
がんばろう岩手」と言っている。

生き残った人々が、粛々とがんばるしか、
残された道はないのだ。

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いつの花を見るか

陸前高田市のお寺で、花見会を行う計画が持ち上がっている。(朝日

Twitterで呼びかけ…とあったが、
このニュースをはじめて知ったのは、
罵詈雑言の付記されたツイートであった。

「こんなときに何を考えているんだ」
「酒を呑むとは何事だ」というものだった。
直接の引用は差し控えるけれど、
もっとどぎつい表現であった。

遺体がまだ埋まっているのに…という指摘もある。
この寺は高台にあるとのことで、
なきがらを見下ろして花見とは言語道断だ、という。

記事の通り、県議が旗振り役に参画しているといい、
これがますます話をややこしくしている。

花見をすること自体に反対はしないけれど、
やはり「時期尚早」だと個人的には思う。

確かに、悲嘆に暮れてばかりいるのもどうか、と思うけれど、
1ヶ月しか経っておらず、家族が行方不明の人も、
避難者も大勢いる状況で、
「恒例だから」「元気づけたいから」では、
理解してくれない人もいるだろう。

花を見るのは、状況が改善されてからでもよかったのではないか。
次の雪が降るまでにはなんとかなる(というよりしなければいけない)
と思う。その頃の花を見ても、よかったのではないだろうか。

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バラエティ番組がなくなる日

主婦の友新書、著・佐藤義和
主婦の友社からリリースされている「なくなる日」シリーズのうちの一冊。

著者はフジテレビの名だたるお笑いプロデューサー軍団の一人で、
「ゲーハー佐藤」の愛称で親しまれた人物だ。

本書にもあるとおり、「笑っていいとも!」の立ち上げにも参画している。

金曜日の人気コーナーだったタモリと明石家さんまの雑談コーナーでは、
そのはげ上がった額と、舌っ足らずの口調を茶化され、
「おいしいんだかだぁ~」と吹き出しのついた似顔絵をタモリがしたため、
それが「サトちゃんシール」として視聴者プレゼントされる、という珍事もあった
(なおそのシールは本書の帯にプリントされている)。

演芸部門の責任者として活躍を続けていたが、50代半ばで現場を解かれ、定年を前に退職。
その後は「フリープロデューサー」を標榜し、
現在は「アクトリーグ」という演劇甲子園のようなイベントに関与しているようである。

主宰するお笑い塾のWEBサイトもあったと記憶するが
現在は消滅しておりそちらについては詳細は不明である。

ということで、「佐藤義和」は久々に聞いた名前であった。

書名は「なくなる日」がついているが、これはシリーズのシバリなので、
そこまで想定して書いてはいない。
むしろ、バラエティ番組へのサトちゃんからのエールととらえるべきである。

宮城県塩釜市の出身(先般の津波の被害からは逃れられなかった街の一つ)。
地元の大学に通いながら、すでに政治の世界に片足を突っ込んでおり、
希望していたテレビ業界に近づくにあたり、
「三塚博」の口添えも少なからずあったようである。
このあたりは本筋ではないのでサラッとしか触れていないが、
非常に興味深いところであった。

卒業後、当時分社化されていたフジテレビの制作部門にアルバイトとして入社。
三塚事務所からは、地元の仙台放送入りも打診されたが、東京に残ることを決心。

ここはさらに軽く流しているが、女性と同棲していたことで
正社員の道が1年遠のいてしまったようだ。(その女性が今の奥さんのようであるが)
いずれ、在籍していた会社はフジテレビ本体に吸収され、
佐藤青年は、「お笑いプロデューサー」への道を突き進んでいくことになる。
(なお「ゲーハー」への道は、アルバイト時代からすでにその兆候はあった模様)

上司であり、「フジテレビ・お笑いの祖」と称される横澤彪については、
52ページ目にしてようやくその名が記される。
横澤についてサトちゃんは、チャンスは与えてもらった、と書いてはいるが、
大いに感謝している、という風でもないようである。

なお、伝説の番組と言われる「THE MANZAI」については、
横澤は生前「自分が生み出した物」としていたが、
サトちゃんは、横澤氏から番組の演出は任されたが、
「THE MANZAI」の名前は自分が考え、
演出やセットは、自分と仲間達で練り上げたものだ、と主張している。

功績争いは横においておくが、とにかく「THE MANZAI」は高い視聴率を獲得、
それが「笑ってる場合ですよ!」「オレたちひょうきん族」に結びついていく。
「万年4位」のテレビ局に過ぎなかったフジテレビが、
これを機に快進撃していくのである。

その後もサトちゃんは、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」
「いただきます」「夢で逢えたら」…数々のヒット番組を飛ばしていくことになる。

こうして見ると、サトちゃんは幸運に恵まれた人間のように見えるが、
サトちゃんは「コンプレックス」と「努力」の人である。

横澤彪、三宅恵介…
お笑い王国フジテレビの立役者であるこの二人のことについては、
驚くほどわずかしか記述がないのである。

そういえば、横澤は東大卒のインテリだし、
三宅は花柳社中のボンボンである。

それに対しサトちゃんは、田舎者で、学歴も半端。
しかし自負するように、努力は人一倍していたようだ。

まあ、その努力の一つが、打ち合わせという名目の「ディスコ通い」だった、と聞くと
ガクッとなってしまうのだが…。

いずれ、サトちゃんは「今の世代にウケるものは何か」をリサーチし、
自分が齢を重ねたことを自覚すれば若手に任せ、
「オレだったらこうするのに」という思いを胸にしまい込んででも、
「最先端のお笑い」を送り出してきた、としている。

そして今のテレビマンを叱咤激励するわけであるが、
これは本書を読んでいただくとしよう。
(これ以上あらすじを書いていると本稿がますます長くなる)

矛盾がないわけではない。

今の「情けない」お笑い番組を一刀両断するにしても、
それができあがる下地は、サトちゃんたちが作ったことは否定できまい。
まあ、やんわりとそこに触れている部分もあるけれども。

それと、「SMAPの才能を引き出すことに成功した」と言うが、
いまのSMAPは、サトちゃんが忌み嫌う「特定ファンしか連れてこない出演者」の最たるもののはず。
ジャニタレへの悪口が言えない立場、しかたないとは思うけど、
ややスッキリしない。

ただ、最終章でサトちゃんが散りばめたキーワードは、
いまのテレビバラエティに蔓延する閉塞感を打破するきっかけになる気もする。
「中高年マーケティング」「落語」「風刺」「ジャーナリズム」…。
えっ、それかよ、という単語もあるけれども、
なぜ「昔のテレビは面白かった」「今のテレビは全部同じ」と言われるのか、
そのヒントになるのではないか。

サトちゃんも「テレビはすでにエンターテインメントの首位から陥落した」と認め、
Twitterの優位性などについても言及している。
それでもなお「テレビを愛するテレビマン」として、
もう一度テレビが輝くために、何をすべきなのか、
「老テレビマン」は、力強く、提言するのである。

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岩手競馬を案じる

岩手競馬は、どうなるのか。

以前から「赤字の競馬なんてやめちまえ」という声が強いのは重々承知である。

しかもこの震災。
「この非常時に、馬の競走とギャンブルなんて、正気の沙汰か」。
そう言う人も多いだろう。

一時は岩手を潤わせてきた競馬が、いまやこんな「お荷物」になるとは、
誰も予想はしなかっただろう。

正直、岩手競馬は消滅した方が問題は簡単に解決する。
赤字はなくなり、予算は岩手の復興に充てられるだろう。

しかし。これまで岩手競馬に投下した資金はどうする。
無駄だった、時代のあだ花だった、で片付けていいのか。
オーロパークだけでも、あれだけ金をつぎ込んでいるのだ。

そして大量に発生する失業者はどうする。
復興作業でもやらせろ、と?
いまさら大工にでも転業してもらうのか?

騎手はまだ若いからつぶしもきくが、
厩務員とか事務職員から、アナウンサー、ライター、
食堂のおばちゃんに至る周辺産業従事者はどうしようもない。

そして水沢競馬場周辺で草を食む馬たちは。
刺身やコンビーフもどきの材料にすればいい、とでも?

また、いままで競馬を愛好してきたファンはどこへ行くのか。
若い世代はPATを使えばすぐに中央競馬にアクセスできるし、
競輪、競艇、オートだっていまや岩手にいながらにして楽しめる。
しかしおやじ世代はそうもいかない。
残されたのは、あの電気をたくさん使うパチンコくらいしかない。

確かに、岩手競馬を廃止することの明快さと比べれば、
継続する困難さは、ここで書いてもしかたがないくらい山積している。

バブル時代のような「金のなる木」に返り咲くとも思えない。

若い世代の競馬離れは深刻であり、
JRAとNARに分かれてきた体制の見直しなど、
岩手競馬単独で解決できる問題ではない段階に来ていると思う。

競馬をやめることは続けるより簡単で明快だが、
いろいろな問題をはらむ。

「やめちまえ」とあっさり考えるのでなく、
どうすれば続けられるか、収益を出せるようになるか、
この非常時だからこそ、考えねばならないのではないか。

万策尽きたら、やめればいいのだ。
何度も言っているが「やめるのは簡単かつ明快」だからだ。
ただし、一回やめたらもう復活できないことを念頭に置くべきである。

(追記 4/12)
なお、馬券を買ったことは一切ないことを付記する。
ただし、これからも一生買うことはない、とまでは言わない。

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何をしょげているんだ

東日本大震災以後、日本に蔓延する悲観論が鬱陶しくてしかたない。
東京の連中は、原発怖い、放射能はイヤだ、そればっかりだ。
そんなに日本がイヤなら、外国にでも逃げたらいいじゃないか。

アメリカ人とかはバカだから、日本産の材料を使ってないのに、
日本食レストランが閑古鳥らしいけど。

こっちはね、週末に見に行ってきましたよ。

04a

ネットでくすねた写真じゃありませんからね。

もう、セシウムだの半減期だの、
おびえているどころじゃないんです。
町が壊滅しちゃったんだよ。

04b

30年後が怖い、とか言っている場合じゃない。
少し前まであった平和が乱されたのです。

町があったであろう場所はもう、めちゃめちゃ。

「瓦礫の山」とよく言われるが、
むしろ木材の切れ端とか砂が一面に広がっている。
「戦争後」と例えられるけれど本当だ、と思った。
あたりは海水の匂いと、火災の焦げた匂いが漂っている。

家があったであろう場所で物を探している人たちをみかけた。
ただ、ほとんど流されてしまって見つけられないようだった。
そりゃそうだろう。
そこにはなかったはずの家屋が流されてきていたりするのだから。

こんな風景を見て、惨憺たる気持ちにさせられる…
と思うだろう。しかし、そうならないのだ。

喪失感はあるが、無力感はない。
あとは「取り戻すしかない」からだ。

まあ、被害の少なかった盛岡に住んでいるから
そんなお気楽なことが言えるのかもしれない。

大切な家族、大事な想い出が海に流されていった人の気持ちは
そんなものではないことは、想像に難くない。

ただ、自分が電話で話をする限りでは、
被災した人たちは総じて前向きである。
なにしろ、「ワタシ、家が流されちゃいましてね~」なのだ。

すべてを失ったら、前向きになるしかない。
しょげているヒマは、ないのである。

それなのに、東京は、「放射能が怖い」ことしか、
頭にない連中のなんと多いことか…。

日本は、他人そっちのけでウジウジ悩む人間たちを頂にして、
今後世界と闘っていかねばならないのか?
一面に広がる木の切れっぱしと泥の山よりも、惨憺たる思いがする。

そりゃ原発の後処理も大事だけど、
津波の被災地の後処理は、もうどうでもいいんですかい?

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所詮は東京偏重

テレビ朝日系「やじうまテレビ!」が4月を迎えてリニューアル。
時期も時期だから、ということか、ニュースに重点を置く内容となった。

リニューアル前に重点としていた「天気」については
引き続き重要なコンテンツとして考えているようで、
MCを務めていた気象予報士の依田司は、
中継でお天気を担当する「本業」に回帰した。

Ytw1

3月までは天気予報画面で全国26地点の天気予報を伝えていた。
これは、テレビ朝日系列局のある都道府県の県庁等所在地の数にほぼ一致する。
(系列局のない島根県松江市と、北海道の釧路市がプラスされている)

Ytw2

ところが、リニューアル後は14地点に減少。
我が盛岡市も除外されてしまった。
(系列局のない松江は引き続き表示してるんだよねぇ)

表示が細かい、というクレームでもあったんだろうかね。
地元系列局が時刻隣に天気予報を表示してくれているから、まだいいのだが。

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その割に、逆に関東地方については個別に天気を伝えるようになり、
全都・県庁所在地どころか、
熊谷や銚子、館山まで取り上げる細かな配慮ぶり。

これってやっぱり、関東地方の視聴率対策、苦情対策なんだろうねェ。

最近の震災報道についても同じ。
被災地や避難所のことは二の次で、
まずは「原発」。
別に「やじうま」に限ったことではない。

ヨウ素だの、シーベルトだの、トレンチだの、
低レベル汚染水だの。
その上に「きょうは計画停電があるのかないのか」。
さらに「上野で花見は是か非か」なんてやってんだから。

もう「真の被災地は東京だ」と言わんばかり。

福島に行きもしないで、「1000ミリシーベルト以上は計れないのか!」と
東京電力を責め立てる政治ジャーナリストの声ばかりが響き渡り、
風評被害や自粛ムードだけが日本全国を覆い尽くす。

全国の人たちに、被災地の復興についても
いろいろ考えてほしいのに、視聴者は原発のニュースでおなかがいっぱいになる。

そりゃ東京は日本の首都だし、大事だけれども…。

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風評被害

メイド・イン・ジャパンに傷…。
日本産の鉄鋼製品を「放射能が怖い」と取引拒否されかねない状態という。(SankeiBiz

これぞ「世界規模の風評被害」である。
日本で取れた農産物だけでなく、
工業製品も放射能まみれだと思われ始めている。

そのうち、日本産の車も買ってもらえなくなるだろう。
日本の自動車は放射能を積んでくる、と思われてしまう。

工業は日本の強みだったはずなのに、
これはほんとうにまずい。

日本のことをろくすっぽ分かっていない
頭の悪いガイジンジャーナリストが、面白半分で誤報を伝えまくっており、
単なるライブハウスが原子力発電所扱いされたりしている。(GIZMODO
誤解されるのもしかたがない状況。

多くのガイジンたちは「日本という国は小さいので、
すでにフクシマから放たれた放射能が、
国全体を覆っている」と思い込んでいる。

津波による死者を誤解し、「ニホンでは1万人が放射能で死んだ」
というわけのわからない誤解をしているガイジンもいるという。

今のうちに、外交ルートでも何でも使って、
こういう誤報・誤解を強く打ち消さないと、
知識のない外国の一般市民は、
日本国が放射能まみれの国だ、と思い込んでしまう。

そして「日本=放射能」というイメージが、
今後数十年にわたってつきまとうことになる。

カネのある日本人は外国に「高飛び」するかもしれないが、
握手だってしてもらえなくなるかもしれないのだ。
「バッチイ! ニポンジンニサワルト、
ホウシャノウガ、ウツル!」とか言われるかもしれない。

とにかく、そんな風評被害をくいとめなければいけない。
知恵を出し合って、
福島第一原発の放射能を押さえ込むことが最優先。
そして、放射能被害を打ち消し、風評被害の広がりを止めることだ。

一番悪いのが、日本に広がるマイナス思考。

上杉隆のように悪いニュースばかりをことさら発信しまくる
ジャーナリストがいるものだから
(しかもこういう人物にかぎって影響力が強い)、
頭の弱い人間はそれを真に受けてどんどん鬱モードに迷い込む。

で、「政府は嘘つきだ」とか謀略論を振りかざす、
インスタントジャーナリストが増殖する。

そんなに気になるんなら自腹でガイガーカウンターでも買ってこい。
第一原発の真ん前に行ってシーベルトとやらを計ってこい。
そんな勇気もないくせに。
自衛隊員や消防隊員はピーピー鳴るメーターを手にがんばっているのだ。

日本から逃げるガイジンにハンカチ振ってる場合か?
風評被害を応援して何になる?

「解決」をしなきゃいけないのに、
「困惑」する材料を探してばかりでは、
ますます日本はダメになる。

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「L字」から「元気」へ

全番組でのL字表示、
深夜番組の全中止…
災害報道に注力してきたIBC岩手放送

ゴールデンタイムの番組を始め、
すべての番組で、放送される画面を縮小し、
災害に関する情報を流している。

また、深夜においては「NEWS23X」「岩手日報IBCニュース」のあとは
「TBSニュースバード」を朝まで放送し、
深夜番組を全部中止してきた。

そのIBCも、今夜は「COUNTDOWN TV」など
ネット受けの深夜番組を復活。
明日以降も深夜番組の放送が再開される。
そろそろ、通常運転への切り替えが始まっている。

ただ、この間放送された「金八先生ファイナル」、
IBCはL時画面のまま放送したのだが、あれはいただけなかった。
集中できないというほどではないが、
永久録画したかった人はさぞがっかりしたことだろう。

そもそも、本画面でも情報を伝えている報道・情報番組や、
気が散っても多少視聴に問題にならないバラエティならまだいいのだが、
集中して視聴する必要のある、ドラマや映画などでは
L字画面は、番組を見づらくし、雰囲気も棄損する。

情報を能動的に得たければ、そういう番組を見ればいいし、
インターネットや携帯電話でも情報は入手できる。新聞でもよかろう。

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「何の番組を見ていても、IBCなら情報が得られる」…
IBCは真摯さを見せたかったのかも知れないが、
延々と続く「厳戒態勢」は、
どうも「おためごかし」にも感じるのである。

「やっぱり岩手のテレビはIBCです」という姿勢を
ここぞとばかりにアピールしたいという計算も透けて見えるのだ。

災害報道特番を延々続けても、
「あっぱれ」と褒める人こそあれ、多分怒る人はいない
(それこそ「不謹慎」だと逆に怒られたりする)。
そこに「つけこんだ」というと、表現は悪いけれども…。

普段意識してこなかったから忘れているのかも知れないが、
テレビには「娯楽」という機能もある。

過剰な報道モードは、被害の少なかった市民に、
自粛モードを喚起するのではないのか。

なにも「震災を忘れろ」と言っているのではない。
ただ、未来永劫、地震と津波が襲い続けるわけではない。
震災から3週間経過し、
「復興」へ向けて取り組もうとしている段階に来ている。
そろそろ「余裕」を与えてくれてもいいのではないか。

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同じく、全番組でL字画面を続けているテレビ岩手にも同じことは言える。
「5きげんテレビ」という人気番組を持っており、
こちらもこちらで「やっぱりテレビ岩手」を
アピールしたいという「計算」に見えるのだ。

しかもL字画面のデザインが派手すぎて、
あれこそ番組への集中をそがれる。
まるで「L字画面のテロップだけ見て下さい」とでも言いたいように。

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めんこいテレビもL字画面を採用したが、
早い段階で、報道・情報番組でのみ表示する体制に切り替えた。
「おたくは真剣みが足りない」と言われかねないけれども、
このくらいの「柔軟性」、あってもいいのではないか。

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いっぽう、逆L字画面で放送し続けるNHKにも
同じことは言いたいのだけれども、
NHKの場合は避難所などでも放送されている事情を考えると、
なかなかやめられない状況はあると考える。
逆に民放は、避難所等ではまず見られないだろう。

「商業放送」であり、「娯楽機能」を期待されている民放は、
パニックから脱しつつある今、情報一辺倒でなく、
「元気」を与える放送も送り出して欲しい。

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