« 便利な時代 | トップページ | 夏の悩み »

過疎は岩手らしさか

岩手日報の「東北新幹線25年」連載で、
「岩手らしさ」「地方の独自性」というキーワードが気になった。

東京から移住してきたという写真家は、
ビルが立ち並ぶようになってきた岩手を見て
「地方の独自性が薄まっている」と言う。
よそから来た人たちも、地元の人たちもよく言うセリフだ。

しかし「地方の独自性」って何だろう、と思う。
「プチ東京化」という言葉の反意語としてとらえれば、
「東京にないもの」といえるだろう。

東京にないもの、それは「過疎」だ。
つまり、過疎を求めて都会から地方に観光に来たり、移住したりするのだ。
そう考えれば、過疎も立派な武器である。
岩手は過疎をいっぱい持っている。
都会の喧噪に疲れた人々を「癒しの郷」になり得るのだ。

ところが、そこで地元の人間の立場になって立ち止まってみる。
「過疎」というのは元来、嫌われ者である。
誰だって便利なほうがいいに決まっている。

あれが欲しい、これも欲しい。
駅前に住みたい。映画が見たい。
そして、でかいショッピングセンターができたり、
大きなマンションがあちこちに建ったりするのだ。

ところが都会の人たちは「不便でもいい」、「不便なほうがいい」という。
で、街並みが新しくなっていくと、決まってこう言うのだ。
「岩手らしさがなくなっているじゃないか」。

過疎を求めれば、「ド田舎」は岩手にまだまだたくさんあるのだけれど、
アクセスが悪かったりする「ニッチ市場」だから
(だからこそそれがド田舎の魅力なのだが)
「ほどよい過疎」の盛岡とか北上あたりに人が集まりやすい。

ところがご存じの通り、岩手にもようやく県外資本が入りはじめ、
どんどん建物が建ち並ぶようになっている。

地元住民からすれば、歓迎すべきことなのに、
『盛岡ファン』を自称する人たちからは
「こんな街じゃなかったのになぁ」
「これじゃプチ東京だね」とぼやかれるのだ。

不動産鑑定士は「東京から気軽に来れるようになり、
今後ますます土地の持つ魅力が大事になる」と語る。
記事では、首都圏から人を呼ぶためには、「岩手らしさ」が必要だ、とする。

盛岡に住む者としては「栄えちゃいけないの?」と思うが、
栄えていないのが「岩手の魅力」なのであり、
栄えることはその魅力をそぐことにつながってしまう。

難しいもんです・・・

|

« 便利な時代 | トップページ | 夏の悩み »

岩手県」カテゴリの記事

「旅行・地域」カテゴリの記事

盛岡市」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17134/15562151

この記事へのトラックバック一覧です: 過疎は岩手らしさか:

« 便利な時代 | トップページ | 夏の悩み »