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MOSSビルできても踏ん張りどころ?

昨年から録りだめていた特番「MOSSビル建設155日の軌跡」(IBC)を見る。

スポンサーはMOSSビルの建設を手がけた高弥建設
従って「高弥の苦労話」に重きが置かれた番組である。

高弥は数年前に事実上倒産し、民事再生中。
岩手県を代表するゼネコンであった高弥の倒産は、
県内に計り知れない影響を及ぼした。

体力をすり減らした公共事業受注依存型経営から、
住宅など小口へのシフトに苦心。企業努力を続けている。

だから、期間も予算も限られたMOSSビルの受注はまさに
「俺たちが取るべき仕事」であり、その完遂までは「命をかけた仕事」だったのだろう。

ちょうど土曜日には、盛岡タイムスが高弥建設の社長のインタビューを掲載
群がる大手ゼネコンから奪い取った地元の大仕事を
きちっとやりこなした「自信」がみなぎる。

毎日新聞も、このブログでは「ボヤくおヒゲのハンコ屋さん」として紹介している
大通商店街の吉田理事長へのインタビューを掲載していた。

吉田理事長は番組にも出演し、大通の衰退と、MOSSへの期待を語っていたが、
約2ヶ月後となる毎日のインタビューでは一転、「MOSSビルの商店街への影響」について、
「MOSSは目的買いが多くて、客が商店街へ還流しない」と語っており、
MOSS大歓迎!だった当初とはやや見る目が変わっているようだ。

以前も指摘したとおり、MOSSのテナントはバラバラなラインナップではあるが、
大通を一つのショッピングゾーンと考えた時に核店舗となりうるはず。
だが、「大通から店が抜けていった」と吉田理事長も語るように、
大通が受け皿になり得ていないのだ。

理事長はほめちぎるチャレンジショップ「おへれんせ」(白崎時計店跡)も、
ふたを開ければ毎日閑古鳥だったというのは誰しも知る事実。

「大通に行けば何でもそろう時代」は左うちわだった大通も、
「ダイエーが出来て、ダイエーなら何でもある時代」で危うくなり、
そして「ダイエーにも欲しいものはない時代」であの界隈は見向きもされなくなった。
いまや「大通は買い物ではなく飲みに行く街」へと変わりつつある。

MOSSビルができたばかりだった「155日の軌跡」放送当時と違い、
MOSSビルが夢の玉手箱では必ずしもないことが分かったいま、
大通は次の一手を模索していかねばならない。
吉田理事長も、口を開けばすぐに「昔は良かった」と言いたくなる気持ちは分かる。
頼みの綱だったお役所だって、もう商売の中心は郊外にあることくらい百も承知。
助けちゃくれない。

景気の悪化、交通の発達(仙台・東京へのシフト)、車社会の浸透と、条件は悪い。
しかし、住民の高齢化は考えようではグッドニュースだし、
中心市街地回帰といううれしい流れもある。

いつまで経っても踏ん張りどころの大通商店街であるが、
ここは一つ、もう少し踏ん張ってみてほしいものだ。

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