無駄があってもいいじゃないか
岩手でがんばっているベンチャー企業、シリウスの社長の「人生物語」が面白い。
死の一歩直前だったという重い病にさいなまれた社長は、
退院後、1年のうち360日朝から晩まで働いて、それでもダメなら谷底に身を投げるという覚悟で
住宅販売フランチャイズ事業をはじめ、シリウス社を大きくしたという。
こういう「ガリガリ働く」人が勝ち組となることは
たいへん素晴らしいことと思う。
問題なのは、「働けないことはないが、ガリガリとはできない」人が
「ハイ、あんた負け組」となってしまう世の中の流れだ。
そのうち、「ガリガリ働かされても、何にもならない」社会になっていきそうなのも怖い
(もうそういう状態に陥っている人もいるけれど…)。
ガリガリ働ける人にはそれ相応の対価があるべきだ。
だから、それなりの働きの人にはそれなりの給料、でもいいのであるが、
その「それなり」の水準が、前者は高く、後者は低くなってきている。
「ちょっとでも無駄のある奴は存在も無駄だ」という考え方が広まっているのではないか。
トヨタのカンバン方式など、業務の無駄をなくすための工夫は大事だが、
古くは「タイムカード」、最近なら「社員監視」「ホワイトカラーエグゼンプション」など、
「生産性向上」という旗の下、行動に制約をかけるという、
「人間」を「道具」として扱うためのシステムが整備されてきているのが気になる。
そして、「無駄なく働ける人間」だけが勝ち残っていく。
これじゃ単なる自転車操業、体力勝負にすぎない。
みんなが体力をすり減らしていくだけ。
その末路にあるのは「破滅」だけじゃないのか。
無駄のない社会の空しさを指摘したのがC・チャップリンの映画「モダンタイムス」であるが、
まさにその「モダンタイムス」が訪れようとしている。
重複するが「無駄なくがんばれる人」はいてもいいし、
そういう人が世の中を引っ張るべきだが、
それを全員に押しつける世の中であってはいけない。
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