きょう吉野家に行ったら、明らかな関西弁を話す若い家族連れがいて、「めっちゃキビしいやん」とか話しているのが聞こえた。
知り合いが店内に入ってくるとお母さんが「きょうは50円引きやってきいたから~」(太字アクセント)と大声で話しかけていた。店を出る時にお父さんが「おあいそ!」と叫んだ。ここは飲み屋かいな、と心の中で(関西弁で)突っ込んでおいた。
ちなみに父母は関西弁だったが、子供は関西弁ではなかった。おそらく「転勤族」なのだろう。
そういえば東京でも関西弁はよく目立つ。たとえばデパートなんかでも、店員も客もみんな標準語を話すのに、関西弁だけは「このお菓子ええやん」「めっちゃカワイいわ~」という感じで、聞こえてくる。
しかし東北弁や九州弁、名古屋弁らしき言葉はほとんど聞かれることはない。観光客なり出張客なり、関西以外からも来ているはずなのにだ。
関西弁だけは、東京でも岩手でも許される「第二の標準語」なのかもしれない。
岩手弁とか盛岡弁を残そうと活発に活動している人々がいるし、東北、九州などいろいろな地域に方言を後世に伝えていこうとがんばっている人も大勢いる。
しかし、残念ながら東北弁や九州弁など「田舎者の言葉」は死んでいく運命にあると思う。方言を話すことは「おれは田舎者だ」と書かれたハチマキをしめて歩くような行為だからだ。
いまでこそそんなことはないが、ウン十年前までは「方言を矯正する教育」が本気で行われ、それにもかかわらず上京後も方言が抜けず、悩む地方出身者もいたわけだ。(もちろんそれを武器にした人もいるかもしれない)
それがいまは、東京ならいざ知らず、岩手にいても、若い子供たちが渋谷あたりにいるような女子高生と同じような会話をしている。方言らしい言葉やイントネーションは(自分が聞いている限り)聞かれない。
ところが関西弁だけはどこでも元気だ。関西弁=「田舎者の言葉」ではないからだろう。
たとえば大阪出身、京都出身、と聞いてもウワっ田舎者だ、という人はいない(逆に和歌山出身でも「大阪の方の出身です」とゴマかすことができる)。
テレビの影響も大きい。明石家さんまに代表される「上方笑いの巨匠」たちが、「でんがなまんがな百連発したろか」など多少誇張した面はあれど、関西弁を世に認知させることに大きく貢献した。
それ以前に、先に紹介した家族のように、岩手にいながら臆面なく関西弁を話すような、関西人の「バイタリティ」「メンタリティ」は、東京モンにもマネはできない。
テレビの影響と言えば、逆に東北弁などの地位を下げることにも貢献しているような気がする。方言を話す老人の表情の上に標準語のテロップをかぶせ、バラエティでは笑い声の効果音をつけ、嘲笑う司会者(それがさんまだったりする)の表情をワイプで入れる。
そうか、ズーズー弁ってダメな言葉なんだ、という教育をするにはもってこいの教材ではないか。学校の先生が「ズーズー弁はダメです」と教え込むより効果がある。その教育の結果は、岩手の子供たちが証明している。
正直「なんで関西弁だけ」という思いはあるが、「関西人に東北人も学ぼう」という気もない。東北弁や九州弁が死んでいくのは(今の世の中なら)当然のことだと思う。もったいない、非常にもったいない話だが、たぶん打つ手はないだろう。
東京ではちょっと前に方言ブームが来てたらしいが、しょせんブームで終わるだろう。だって、本場ですたれ始めているのだから。
(参考)そうか、「関西へのやっかみ」「東京への敵対心」か。→LOOSE TRAP