どうも「ライブドア派」が増えているようだ。
テレビ朝日の世論調査では、「ライブドアを支持する」と答えた人が、フジサンケイを支持すると答えた人の数を上回っているという。
強引な買収に対し、「目には目を」とばかりに無理のある対抗策を講じたフジサンケイに対し、嫌悪感を抱いた人が多いのだろう。同業者がおもしろがって堀江社長を画面に出し、はやし立てるほどに、人々は「言ってることはようわからんが、こいつにいっぺん任せてみたらどうだ」と思い始めているのかもしれない。
堀江社長の経営手腕やビジョンの確かさを褒めたたえる向きもある。ブログ界では有名な某新聞記者も、連日彼のことを優れた経営者として持ち上げている。
確かに堀江社長の語るメディア像については絶対間違っているとも言えないし、今回の騒動がマスコミや株式市場、企業経営のあり方まで、幅広い分野に一石を投じたことは否定できない。
しかしだからといって「フジサンケイはおとなしく降参すべき」なのだろうか。
個人的には彼のことを「人としてどうかな?」と思っている。時代の寵児となった、堀江社長そのものについて考えてみると、彼が巨大企業グループのトップに立つことが、果たしてほんとうにいいことなのかどうか、考えさせられる。
「恐るべき子ども」と評した記事も読んだが、「子ども」のような人間に人生を動かされる身になったら、と思うと空恐ろしい。
堀江社長は、買収成立後のニッポン放送についてリストラはしないが給与体系を変える、と言う。要するに「コストカットのために、給料を下げる」ということだ。
確かに、マスコミの高給取りぶり(それと傍若無人ぶり)には一言言いたいとは思う。だが、六本木ヒルズに会社も自宅も持っている人物に、いきなり「あんた役立たずだから給料下げるからね」と言われて承諾できるだろうか。
「リストラはしない」というし、この不景気に、甘受せざるを得ない面もあるかも知れないが、将来を見越して家を建て、ローンを組んだ人もいるだろう。そういう人々を路頭に迷わせるのか。リストラ同然だ。
高い部屋からきれいな夜景を見ていると、人の痛みなど分からなくなるのだろうか。いや、そもそも彼には人の痛みを思いやる行為すら「無駄なもの」でしかない。彼にとってはすべては「実力」であり、「カネ」なのだから。
そういう意味では、堀江社長はもっとも人間らしいのかもしれない。もっと言えば「動物的」か。動物的カンで富を生み出し、動物的な競争に勝ち抜き、人々を動物的に争わせ、生かすものは生かし(たとえばライブドアの熊谷副社長)、それ未満の人間はそれ相応に扱う。
先の見えない時代。弱肉強食の世界で勝ち抜くためには給与体系もギチギチの成果主義にして争わせる…納得できる面はあるが、強引さも感じる。今回の買収劇も、あまりにも強引すぎやしないか。
堀江社長が苦境に立たされている場面を「出てくる杭を打つムラ社会の弊害」と評するブログもあるが、企業買収の本場アメリカは弱肉強食の最たるもので、「人間差別」に関しては超一流(?)の社会ではないか。
それでもアメリカンスタンダードはグローバル化社会の進む世界を強烈に覆う。堀江社長はまさにそれを持ち込んだビジネスで成功を収めてきている。
日本もそういう社会になるのだろうか。ほんとうにそれが日本という国に似つかわしいことなのか。
別にニッポン放送やフジテレビのヘッドたちのほうが立派だ、とは思わないが、堀江社長の言動を見るにつけ、「こんな人物にニッポン放送を、そして明日の日本のメディアを任せていいの?」と思うのである。
それでも、ライブドアがTOB中のニッポン放送株式をスルスルと購入していく様を見ていると、いよいよニッポン放送は堀江社長のものになりつつあるのが分かる。堀江社長は「命がけです」とは言うけれど、企業買収というものが、「いとも簡単」に見えてくる。従業員にとっては一大事なのに。
これからは「恐るべき子ども」でさえも、能力さえあれば富も人間も握ることができる時代になるのか。