暮しの手帖
あの「暮しの手帖」が装いも新たにお目見えした。
聞けば、新しいデザイナーを迎えたとかで。
独特の手書き文字は健在だったが、
本文文字の長体・平体(文字を縦や横に伸ばしたもの)はほぼ姿を消した。
長体や平体は、写植が普及し始めた頃
(つまり「暮しの手帖」の黎明期)にはモダンな技術だった。
いまは時代遅れになってしまった。
長体・平体がなくなっただけでも、
同誌の「時代から取り残されたような独特の雰囲気」が消え去り、
近代的雑誌に見えてしまうのだからふしぎである。
「暮しの手帖」は、スキャンダル、広告、性の記事については載せない、
前近代的な編集方針を貫いているが、
現代においてそれは非常に前衛的で過激だ。
大企業が自信を持って世に送り出した数々の商品が、
「商品テスト」で糾弾されることもある。
そう、「暮らしの手帖」、本当は過激な雑誌なのだ。
それなのに、いまや本屋の片隅で静かに眠るように置かれるようになってしまった。
過激さが、あのアナクロな装丁の陰に隠れていたのではなかろうか。
まあ、あんなに古くさい装丁では売れないだろう。
あの装丁は、創刊者花森安治が生みだし、
彼の死後も、同僚である社長が守ってきたそうだ。
そりゃ、創刊当時のモダンガールだったおばあちゃんたちには
あれでもいいのだろうが、若い人には受けない。好き者以外は読まないだろう。
独特の「花森イズム」を守りたい、その精神は分かる。
だが、ほんとうに花森が守りたかった本質の部分は、
表紙のデザインや装丁などではないはずだ。
若い層に「花森イズム」の本質を伝えるためには、現代的センスも必要なはず。
それを、社長以下編集者たちが分かってくれたようだ。
今月号の装丁がそれを証明している。
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